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・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/08/15(日) 06:01
http://japanese.joins.com/html/2003/1028/20031028213934100.html
中曽根康弘元首相が政権発足から3日後の82年11月30日の夕方、首相官邸に招待した人は、
知韓派の瀬島龍三氏だった。〔略〕
中曽根元首相が瀬島氏を呼んだのは、同氏が、韓国権力階層とのホットラインを持っていたからだ。
瀬島氏は、日本陸士後輩の朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領に、輸出ドライブをかける政策や「圧縮成長」
の戦略を諮問し、全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領に五輪招致を助言した人物である。中曽根元首相
は、執権後の初の課題に、韓国との関係正常化を決めた。訪米を控えて、韓国を先に訪問したかった。
瀬島氏の「密使外交」のおかげで、中曽根元首相は83年1月に、戦後、日本首相としては初めて訪韓し、
全斗煥大統領に会った。その後早速米国へ向かい、レーガン元大統領にも会った。80年代初め、韓日米
3国の間に一致した保守右翼の連帯だった。
首相になる前に、中曽根氏は「風向計」とされていた。常に「権力を握る方向」に立つ変身を繰り返し
「権力の行方を語ってくれる」との意味から付けられた皮肉なニックネームだ。中曽根氏は「刀が届く距離
まで進まないと相手を倒せない」とし、59年から、長官ポストを相次いで渉猟したすえ、権座に上り、長期
執権を果たした。
中曽根氏の最後の選択が小泉首相だ。中曽根氏は、支持基盤がぜい弱だが自身と「遺伝子が似ている」
小泉氏を支持し、首相ポストにつかせた功臣である。中曽根氏が周辺諸国の非難にもかかわらず、85年
に歴代首相としては初めて靖国神社を参拝したように、小泉首相もやはり毎年靖国神社を訪ねている。
中曽根氏が「戦後の決算」との名分のもと改憲と再武装を進めたように、小泉首相は「有事法制」を作り、
イラクに軍隊を送った。
そうした中曽根氏が、56年にわたった議員活動を引退する「不出馬宣言」をせざるを得なくなったのが、
小泉首相の改革のためだという。「長江の裏側の波が、前方の波を押し出す」と、中国人らは語る。
勢いよく流れる長江の流れは、すなわち歴史の「不可逆性」なのだ。呉炳祥(オ・ビョンサン)ロンドン特派員
2003.10.28 21:39
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