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369・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/01/28(水) 05:25
523 :資料屋・御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/08/20 23:19
 石井から抗議の電話を受けた渡辺は、金丸に連絡し、田中邸参りは絶対条件であることを伝え、
金丸は謝罪し、必ず行かせる日程は火曜日6日の朝だと答える。
 この間、竹下派議員の中で、独自に説得行動をおこした議員がいた。
 10月1日夕、熊本一区選出の一回生代議士の魚住汎英は、紀尾井町にあるホテルニューオオタニの
ラウンジで日本皇民党側と会談をもった。
 地元・熊本市内の右翼団体「青年愛国党」総裁の内村正弘の紹介だった。
  内村は、稲本総裁が中四国、九州の右翼団体に呼びかけて設立した
 「西日本獅子の会」に参加し、副理事長を務め、稲本と行動を共にしてきた。
 内村同席の条件付きで承諾され、魚住、稲本、大島の会談であった。
 日本皇民党側は即答をさけた。
 「何ともいえません。すぐ止めるというわけにもいかない。3、4日のうちにやめます。待ってください、
魚住先生」稲本は丁重な言葉を使い穏やかに接した。
 魚住は稲本の態度を見て、ほめ殺し中止は、ほとんど決まったなと感じた。
 10月2日夜、熊本県選出の浦田勝彦参議院議員は、赤坂の小料理屋で日本皇民党の
米沢総裁代行と会談をもった。浦田旧知の、評論家・著述業の山本峯章の斡旋である。
 1時間ほど会談がつづいた、8時45分ごろ部屋の電話が鳴り、米沢はふたこと、みこと、言葉を
かわし席にもどると、引き上げ命令が出ましたので高松へ帰ります。
 10月4日、竹下は仙台市内で遊説をおこなった。2日後の田中邸訪問をほのめかす言葉をもらした。


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