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・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/01/28(水) 00:07
脅威の野望、あなどれない力
だから文氏にとって、会員ではあっても日本人には心を許せないのであろう。
本誌(『朝日ジャーナル』昭和六十年十一月三十日号)でも書いてたが、アメリカでは最高幹部は韓国人、
実務をとりしきる中堅幹部は日本人、第一線で手足となって働き、金を稼ぐのも日本人、それに加えて
日本からの大量送金……。
そういう構図になっている。日本人会員が目覚め、日本的原理運動を目指すのが一番こわい理由も
そこにある。そのへんを副島氏ら(文春)はこう言っている。
「『文鮮明氏』と韓国人の統一教会幹部には、日本統一教会内に日本人としての誇りを持つ人間が
現れることの警戒心が強い。日本人に対しては、とくに尊大になる。この『文鮮明氏』の日本統一教会と
その幹部への強い不信と、そこから来る強圧的な姿勢の根底には、韓国・朝鮮人としての日本人に対する、
反日感情がある。……日本の復興は朝鮮戦争の特需によるもので、韓国・朝鮮人の犠牲のうえに
日本の繁栄が成り立っているという理屈である。だから、教祖は、日本から莫大な金額を持ち出すことも、
そのために日本人会員が苦吟することにも、良心の呵責を感じないと断言している」
これでは、いつまでたっても日本人は贖罪に苦しみ、敗戦コンプレックスをひきずる<狼>だ。
文鮮明氏の反共は、多分は北から命からがら逃げてきた体験からくる恨みだろう。祖国語を韓国語に
するというのも、あるいは日本によって韓国人が日本式名前を押しつけられたことへの復讐かもしれない。
宗教家に恨みや復讐は似合わない。久保木氏を始めとした日本の原理運動の人々も、できることならば
文鮮明氏と手を切り、独立し、日本的原理運動を目指したらいい。贖罪や敗戦コンプレックスの
『原理講論』からも解放されてだ。文氏のために祖国日本への「復讐の手先」とされたのではたまるまい。
そして心にもない反共運動の仮面も捨てて、本来の宗教運動に戻ったらいい。まァ、これは無理かも
しれないし、いらぬおせっかいかもしれないが。
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