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359・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/01/28(水) 00:06
  虐殺兵と似た目つきの原理研
 第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、その通りだ。文氏は、
いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『マイン・カンプ』である。『マイン・カンプ』の中には
徹底した日本人軽視、黄禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑されて
日本は手を結んだ。それと同じように韓民族が選民であり、世界の中心だということは、日本語板の
『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居直って日本語板にも出しているが)。これと同じ
過ちを日本の体制側、そして一部の右翼は再び犯そうとしている。
 第四に、この狭量なストイシズムは宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権力の奪取、文王朝の
建設を目指すという政治の世界には入るや、必ず悪い結果になるということだ。ロベスピエール、
カルヴィン、松平定信…と、その先例は歴史上にいくらでもある。ツヴァイクの『権力とたたかう良心』
によると、宗教改革に成功したカルヴァンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、
徹底した恐怖政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない者が処罰
される方がいい」と公然と告白したという。また、カルヴィンやロベスピエールはそのいい例だが、
「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険な専制君主の典型である」と、ツヴァイクは言う。
それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理観の人間は殺して、
殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分を殺して達成しなければならない革命とは
一体何なのか。地獄のカンボジアを実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。
古い体制の人間を殺す尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもとより、
もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったという。そして、その目はちょうど
原理研の人たちの目に似ていたという。未来を暗示するようで、何かゾッとする話だ。


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