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355・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/01/28(水) 00:05
 原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的にやり始め、世間の
耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原理運動のことを直接にしったのは、僕が
昭和三十八年、早稲田に入ってからだ(その前から漠然とは知っていたが)。それから二,三年して
早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争に火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。
それに刺激され対峙する形で民族派学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、
「民族派全学連」を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原理研は
駅前で黒板を出して演説したり、個人をオルグをしていたが、大学に入りこみ、サークルをつくったりして
組織的、全国的に活発にやりだしたのはこの早大ストのころからだと思う。
 全共闘と民族派と原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ同時期に生まれ、
全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺激され、全共闘を反面教師としながら
民族派も原理も、己の組織化を急ぎ、全国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、
原理研が今やっている大学でのサークル、学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは完全に全共闘
から学んだものである。逆説めくが、今の原理運動も民族派の運動もある意味では「全共闘の遺産」
なのである。全共闘との付き合いについてはこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理に
ついて書く。


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