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・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/01/10(土) 19:19
19 名前: 投稿日: 02/05/16 18:45 ID:0S/MhaXD
三井グループ
江戸中期に創立した呉服店・越後屋が発祥。今でいう掛売り・セット売りが主流の
商法だった時代に現金売り・バラ売りを始めて成功する。これが現在の三越。
両替商にも手を広げる(現・三井住友銀行)。
明治以後富国強兵に伴って様々な事業&貿易業に進出(現・三井物産)。
行動力や結束力という面では、他の2グループに比して見劣りする。
戦前最大規模を誇った三井銀行は戦時中第一銀行と合併し、帝国銀行となるが
戦後行内不和や財閥解体の波を受けて再び分離。三井銀行は長らく都銀中位行
としての地位に甘んじ、財閥解体で解散させられた三井物産は再統合へ向けての
主導権取りで激しい対立があり、結果として再統合が遅れた。
住友グループ
別子銅山、ではなく本当の創業は江戸初期に京都に開いた本屋兼薬屋。
その主人の姉婿は「泉屋」という銅細工屋を経営していたが、銅の精錬技術を開発し、
息子が住友家に婿入りして銅貿易で成功する。元禄期に幕府から許可を受けて
別子銅山に代表される各地の銅山を開発する。この銅の精錬に関連した産業分野に
手を広げていく。特に明治以後、内外の鉱山の開発において大きな成功を収める。
戦後住友財閥は解体されるが、住友商事はいち早く昭和27年に再結集を果たす。
住友銀行も日本最大級の銀行の一つとして君臨するが、安宅産業事件・平和相互
銀行事件・イトマン事件等常にダーティなイメージが付きまとったことは否めない。
三菱グループ
三大財閥では一番歴史が新しく、土佐藩の出崎官(しゅっきかん)として、幕末の
土佐出身の志士集団「海援隊」の監督を行っていた岩崎弥太郎が、海援隊の資産
及び土佐藩の船・大阪蔵屋敷等を譲り受けて「九十九商会」という海運・貿易商を
始めたのが発祥。維新政府に積極的に食い込み「三菱は国家と共にある」という
言葉の通り、国家が必要とした海運・貿易・造船・重機・化学等の分野に次々と
進出し、戦前日本の発展に大きな役割を果たす。
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