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・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2003/06/21(土) 01:37
最後に、四元義隆の生い立ちです。
韋駄天迷宮――韋駄天掲示板から転載します。
(転載開始)
[217] 四元義隆
投稿日 8月10日(月)03時17分 投稿者 韋駄天木村
四元義隆は、1908年(明治41年)3月8日、鹿児島市南林寺町において、会社員四元嘉平次の
次男として生まれた。明治維新勤王家の血を享けていたという。父の薫陶や郷土の気風などにより、
幼時より武士道精神を植え付けられて育った。
1925年(大正14年)4月、四元は第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)に入学する。ここで、
柔道部の主将だった四元は、剣道部の主将であった池袋正釟郎と出会う。二人は、在学中学生が
赤化し無気力となっていること、功利的気風や教育の無権威等について嘆き、1928年(昭和3年)、
日本精神の養成を目的とする右傾思想団体・七高敬天会を組織する。
1928年(昭和3年)4月、四元は東京帝国大学法学部に入学する。ここで、法学博士・上杉慎吉が
主宰し日本主義を標榜する、国家主義団体・七生社の同人となった。上杉の死後は、安岡正篤が
経営する金鶏学院に入り、その指導を受けた。だが、ロンドン条約反対運動に従事しているとき、
四元は安岡に不満を抱く。そんなときに出会ったのが、日蓮宗の僧籍を持つ井上日召である。
四元は井上日召の思想信念に心服し、その同志となる。
こうして起きたのが、血盟団事件である。
1932年(昭和7年)2月9日、小沼正によって前大蔵大臣・井上準之助が暗殺される。3月5日には、
菱沼五郎によって三井合名会社理事長・団琢磨が暗殺される。
その後、3月11日には、首謀者であった井上日召が自首し、血盟団は全員が検挙される。そして、
3月28日には、血盟団員13人が起訴される。
この血盟団事件で、四元義隆は学生組の中心的人物であり、参謀格として行動している。
「一人一殺主義」を標榜する血盟団において、四元の担当するのは、大久保利通の息子であり
内大臣であった牧野伸顕だったが、警戒が厳重であったため、暗殺することはできなかった。
そこで、四元は同志の連絡統制に当たり、菱沼五郎に拳銃を渡すなど、各自が担当する暗殺計画を
進行させた。
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