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ネット・ウヨサヨ論

64鎌やん:2002/11/09(土) 01:23

1950−70年代、日本では人口の流動があった。
55年時点では、郡部の人口が日本人口の 7割だったが、
75年には都市人口が日本人口の7割になり、以後安定した。

この過程で、地域から切り離された新都市民、労働共同体として生まれたのが
労働組合であり、それを背景とした政党が社会党だった。

一方、従来の地域を背景とした政党が自民党だ。

本来ならこの人口流動が発生した時期に社会党政権が一度くらいは
起きるのが自然だった。が、そうならなかった。

その原因を集約させるのは難しい。2つ上げてみる。

ア;社会党及びその支持基盤である労組が、内側を向き、党内の勢力争いに
エネルギーを注ぎ、しかもそれは政策によるものではなく、露骨に「イビリ」
による追い出しであり、結果、自民党との競争にエネルギーを注がなかったこと。

イ;政党政治以前から存在する右翼団体(玄洋社をルーツとする)は、
元来は国民と政治家(当初は元老)を繋ぐロビイスト的なものだった。
1920年代政党政治が活発化すると、ロビイストである右翼団体は存在基盤を
失うことになる。(1920年代は「政党政治が活発な」時代だった)
1930年代、政党政治を潰すために、右翼団体は行動した。
それと同じことが、1960−70年代に発生したと考えられる。


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