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ネット・ウヨサヨ論

435・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2015/10/05(月) 07:27:07
(5) 橋本派(経世会)支配の復活(橋本・小渕・森政権)(1996.1〜2001.4)
村山社会党政権・河野執行部時代の左傾化の行き過ぎに対する反発から、僅かながら自民党本来の保守的政治姿勢への揺り戻しが見られた時期(1996.7の橋本首相靖国神社参拝、小渕政権での国旗国歌法/周辺事態法制定など)
しかし、この時期の自民党最大の実力者は、勢力を取り戻した橋本派(経世会)の野中広務であり、河野洋平・加藤紘一ら自民党内の左翼議員が要職を歴任するなど、自民党の左翼政党化は続いていた。
1998年7月の参議院選挙で自民党は大敗。政策運営が困難化したため翌99年、小渕政権は今に続く公明党との連立に踏み切る。
(6) 小泉改革から野党転落まで(保守再生への期待と不安)(2001.4〜)
2001年4月、不人気だった森首相が退陣表明。後継総裁は橋本元首相の復帰が有力視されたが、党員党友による予備選で、「自民党をぶっ壊す」と表明した小泉純一郎元厚生相の人気が沸騰。議員の支持者数で圧倒的優位だったはずの橋本氏を逆転して総裁に就任。1978年(大平政権)から中断を挟んで20年以上も続いた「田中・竹下派(経世会)支配」が、田中角栄との政争に敗れた福田赳夫(首相在任:1976-78)の門下生であった小泉の手で、ようやく覆される。
小泉は、橋本・野中など利権構造に胡坐をかいた経世会を中心とする党内の実力者を「抵抗勢力」と呼び、厳しい対立姿勢を取る。2003年の総裁選でまず野中を議員引退に追い込み、2005年の郵政解散で綿貫(元経世会会長)・亀井静香などを自民党から追放。「新しい自民党」を演出する。
小渕・森政権時代に、ネットインフラの整備が進んでいたこともあり、5年以上の長期に渡った小泉政権下では、これまでのマスコミ報道にそのままリードされた世論とは別物の「ネット世論」の形成が次第に進行。左傾化したマスコミ報道とは離れて、ネット世論の保守化(健全化)傾向が年を追うごとに顕著となっていった。
この傾向は、自民党にも波及。小泉政権自体が発足時のリベラル姿勢(福田官房長官・田中真紀子外相)から、中期には中道化(細田官房長官・町村外相)し、末期には保守化が顕著(安倍官房長官・麻生外相)となった。
小泉首相退陣後に、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権が発足。本格保守政権としてネット世論の期待を集めたが、これに危機感を抱いた朝日・毎日・中日など左翼マスコミが、自民党内の左翼リベラル勢力と結託して一斉に安倍首相追い落としに走る。この時、ネットの"自称"保守派の一部も(分断工作に乗せられて)首相の政治姿勢が不十分として安倍首相支援から攻撃に変節。安倍政権は参議院選挙で大敗を喫し、わずか一年で崩壊。
安倍後継として麻生氏が当初有力視されたが、今度は、読売・日経が、リベラル親中派の福田康夫元官房長官の擁立工作を強力に推進。麻生氏は党員党友の多数の支持を集めるも、議員票で及ばず敗退。福田リベラル政権が発足。


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