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ネット・ウヨサヨ論
271
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2005/02/23(水) 02:25:45
http://www.jrcl.net/web/frame03630a.html
リンド氏が国防族知識人と呼ぶグループの政治的経歴や理論を誤って表現していることは、彼が「新保守主義」という用語を折衷的で広範囲に使用していることによります。今日このレッテルは、その多くが、一九七〇年代に合体した有名な新保守主義運動との明白なつながりをほとんど持っていない多様な右翼知識人に、一括して適用される語句として現れています。一九七〇年代の新保守主義者とは、一九六〇年代のラディカルな運動を行き過ぎと認識して、急速に右に移行したかつてのリベラル派知識人のことです。
第二次世界大戦後、一時はトロツキストだった多くの人びとが、同世代の他の人びとと同様に、保守的方向に移動したことはその通りです。最も著名な、『ナショナル・レビュー』の支持者であるマックス・イーストマンやジェームズ・バーナムは、ブッシュ的な外交政策を支持しましたが、彼らはユダヤ人でも新保守主義派でもありませんでした。
冷戦の時代、一九三〇年代にはトロツキズムの支持者だったシドニー・フックや、一九三〇年代後半と一九四〇年代前半にトロツキスト分派(シャハトマン派)のメンバーだったアービング・クリストルは、冷戦の戦士になりました。この両者とも一九六〇年代以前にラディカルな立場を捨てていましたが、二人は一九七〇年代の本来の新保守主義と同一視されています。しかしクリストルの息子で、現在は影響力のある『ウイークリー・スタンダード』の編集者であるウイリアムは、トロツキズムとのつながりはもちろん、極左派であったこともなかったのです。
同様に、一九四六年に『コメンタリー』を創刊したエリオット・コーエンも、一九三〇年代初期にはトロツキスト支持者でした。しかし彼の後継者となった、一時はリベラル派だったことがあるノーマン・ポドレーツや、ポドレーツの息子のジョンは、いかなるマルクス主義的傾向も持ってはいませんでした。
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