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ネット・ウヨサヨ論

264・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/12/07(火) 09:44
623 名前:520 ◆1ulZdATdBI 投稿日:04/12/06 23:30:38 xfntlRL4
1-2-4 ttp://www.geocities.jp/ishin_1868/hirata.htm より
また、江戸にも諸国出身の篤胤の門人たちがいる。
 その門人たちが、諸国の情報をもって江戸の気吹舎に集まると、そこはもはや全国規模の情報センター
と化す。いっときは、全国の門人数は4000人ともいわれた。
 アヘン戦争、ペリー来航、日米修好条約締結…かつて日本のすべてのお手本だった中国すら西欧列強
の前に屈する時代、それまでより所だった儒教にかわり、守るべき日本とは何か? との問いの答えを
国学に求める動きが、特に武士層の間に広がった。
 それを求めて、気吹舎には藤田東湖、西郷隆盛、平野國臣なども訪ねてきていた。
西郷などは4回も訪問している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93 より
 国家神道(こっかしんとう)とは、明治から第二次大戦敗戦までの間に成立していた日本政府による
国家宗教、あるいは祭祀の形態である。この名称は宗教学者村上重良の提唱になるものであると
一般に言われている江戸時代の国学者平田篤胤の思想に共鳴した平田派の神道家たちが、明治維新
の精神を神武創業の精神に基くものとし、近代日本を王政復古による祭政一致の国家とすることを提唱
した為、明治政府はそれを容れて中古以来衰えていた神祇祭祀を復活させ、神道の整備を行なった。
その結果として成立した神道の一形態が国家神道である。神道の宗教としての側面は教派神道として
分離され、祭祀としての側面が国家神道とされた。


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