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ネット・ウヨサヨ論

260・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2004/12/07(火) 09:43
615 名前:520 ◆1ulZdATdBI 投稿日:04/12/06 23:06:24 xfntlRL4
1-1-2
 つまり、ニッポン人はそのまま日本人であったと。和語(やまとことば)も始めからあって、
その文字のない口語を、漢字を用いて文語に写し取ったにすぎないと言うわけである。
そして宣長に従えば、古事記に記されたことが真実の歴史なのだから、ニッポンには始めから
日本の神々とその子孫である天皇がいたということになる。こうして「ニッポン=日本」の等式は完成する。
 宣長の等式の普及者は、前述のとおり明治政府である。明治政府は紀記編纂期の白鳳政権に似ている。
ともに大変な対外緊張期の政権であった。もちろん単純な同一視はできないが、そこで求められたのは、
外圧に耐え得る「日本という主体」であった。この列島が古来、日本国と日本人に属するという強い主張が
求められていた。つまり「ニッポン=日本」の等式が求められていたのである。つなげないものを
つなぐ冒険が明治に再び行なわれ、私たちは未だにその呪縛から抜け出せずにいる。

1-1-3
古事記に依拠して「ニッポンは日本の神の国」という純神道を編み出したのは本居宣長であり、
それを幕末の尊皇運動にまでつながるものとして咀嚼したのは平田篤胤である。しかし彼らの原典
『古事記』(ふることぶみ)の神々とは、日本人にとって果たして何なのだろうか。その上巻は、
古代豪族(すべて渡来人)が奉斎した神々の神名総覧物語である。誰が天照大神を知っていたであろうか。
「天照大神」という漢字で書かれた神名とともに、その神は現れたのである。紀記とは日本の天皇と
豪族たちのための神話(すべての神話は創作物語であり、かつ古い物語とは限らない)であったことを
忘れてはならない

ポイント1:『古事記』の根拠を『古事記』に求めている。
ポイント2:古事記は江戸の時点で、正確な意味が分からなくなっていた。その後の研究はすべて
”本居宣長の解釈”がベースになっている。根拠は”それが一番古い解釈だから”。

閉じた自己憧憬の始まり。


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