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満州国建国の正当性

1けめたん:2022/07/17(日) 12:37:04
満州国建国の正当性について話し合います

2けめたん:2022/07/17(日) 12:38:59
リットン報告書
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問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について
十分な知識を持ったものだけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべきだ。
この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、
他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。
また一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたと言ったような簡単な事件でもない。
なぜなら満洲においては、世界の他の地域に類例を見ないような多くの特殊事情があるからだ。

全文リットン報告書 ビジネス社  渡部昇一 解説編集
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これを読めばこの後に「十分な知識をもった者同士」によって議論が行われたと思うでしょう。
それから決議したと。
しかしそんな事はなかった。

3けめたん:2022/07/17(日) 12:47:24
リットン報告書に対する日本側の反論を書いたのは、英国の国際法の権威トマス・バティ
(1916年日本国外務省の法律顧問就任、1928年より日本外務省職員)

国際連盟は日本国と満州国の反論で満州国を認めるしかなかった。
満州国の反論は建国と同時に満州国顧問に就任したジョージ・ブロンソン・レーが関わっていただろう。
(レーは清国の歴史と当時の中国のおける政治に精通しているアメリカ人)

国際連盟は日本の反論について討議せず、また満州国が出した陳述書は非公開としてしまった。
日本は何度も満州国の陳述書を加盟国に配布するよう求めたが拒否された。
まさに「問答無用」とばかりに一方的な態度で満州国を認めなかった。
これは裁判に例えると、検察の冒頭陳述(リットン報告書)ですぐに結審して判決(決議)を出すようなもの。
あまりにも無茶苦茶だが、これにより日本は国際連盟を脱退した。

では満州国の主張とはなにか?それは満州国顧問のレーが後に書いた
「満州国出現の合理性(1936年出版)」に載っている。
それをベースにして満洲国建国の正当性の論理が展開される。

4けめたん:2022/07/17(日) 12:54:47
これから満州国について詳しくない方もこのスレに誘導してきますので、まずは分かりやすく。


それでは現在問題となっているチベットや新疆ウイグル問題と絡めて話を進めましょう。

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オランダがインドネシアを300年以上支配していたのはご存知の方も多いと思います。
さて、オランダによるインドネシア統治が終わる時に
「今まで支配していたのだから、今度は逆にインドネシアがオランダを支配するべきだ」
という人はいるでしょうか?
それはイギリスのビルマやインド、フランスのベトナムなどにも言えますが、
「今度は逆に支配されるべきだ」と感情的になって言ったとしても、本気で言う人はいないでしょう。

しかしもしも両者が話し合ってそのように決まったならば、
つまりインドネシアによるオランダ統治が決まったならば、どこの国も異議を唱えないでしょう。
両国は協定を結び、インドネシアによるオランダ統治が始まった(とします)
しかしここでインドネシアが協定を破棄した事により、オランダが前のように独立するとなったら?
誰もオランダを責めたりする人はいないでしょう。

では満州国について・・・

5けめたん:2022/07/17(日) 18:19:20
17世紀に満州の地にあった「満州族」の国家である大清が、
「漢民族」の国家である明を破り、漢民族を支配した。
ここで大清(満州族)による帝国においての他民族や国との支配関係を見てみましょう。

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しかし、清帝国支配化のアジア諸民族の地位はそれぞれ違っていた。朝鮮や越南は属国であり、
モンゴルは盟友で、チベットは教王領として、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、皇帝の国師となっていた。
新疆の回部とともに藩部と称され、外様大名であった。だから、モンゴル・チベットは朝鮮のような属国ではなかった。

清朝支配下の中国について、たとえば岡田英弘教授のように「清の植民地」とみる学者もいる。
ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。
それは征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。
たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に官女としない。漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。
対外公文書は漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文。漢人の夷語(外国語)学習の禁止。
夷人への漢語・漢文伝授も禁止。満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。
天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の経営。漢人はいかなる重臣といえども、
清皇帝に対し、「家奴」(家内奴隷)と自称・・・・・など。
清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。
だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、「家奴国家」であったろう。

『捏造された近現代史―日本を陥れる中国・韓国の罠』徳間書店 黄 文雄 (著)
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6けめたん:2022/07/17(日) 18:33:10
辛亥革命というのは「自国の王朝を倒す革命」ではなく、
「漢民族による大清帝国からの独立運動」だったのである。
辛亥革命のそもそも始まりは14の省が清国から分離独立宣言をした時からです。
アジアの植民地が欧米諸国から独立するようなものです>>4

三民主義を知っていますか?
皆さんも学校で習ったと思うが、ある事が隠されていた。
教師が教えなかった事がある。
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1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の
「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・
民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。

ウィキペディア【三民主義】
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韃虜(だつりょ)=満州族の蔑称

「韃虜の駆除」である。それが隠されていた。
なんといいますか「隠すほどに現るる事はなし」(隠そうとした事で却って人に知れ渡ってしまう)
この三民主義の場合、何が現れるかというと「満州国建国の正当性」である。
「満州国建国の正当性」を論じる上で漢民族と満州族をはっきりと区別し認識する事は大事なことです。


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