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奇跡のコースの世界観の誤り

3いつもある精神統一:2017/11/26(日) 08:21:25 ID:QMoySvSgO
奇跡のコースの世界観(日本語翻訳)のズレ(破綻)とは

想像を

自我がしたものとするため

つまり神・キリストの「もし?」

をみとめないことにより
赦しではなく、許し(自我の立場の現実にしてしまう許し)

になってしまうことである

奇跡のコース自身が
真のゆるし(赦し)を提唱しているのにもかかわらず

矛盾したことを最初にいってしまったのである

「幻想は神・キリストのものではない」と

しかし責任を自我に転嫁すると

原因は自我になり

それを癒すことは不可能になるのである

わたくしは奇跡のコース
は完成された最高度の教えだと信じていますが

最初の否認
幻想が神・キリストのものではないという表現つまり
もし?が神・キリストの小さな狂気の考え(現実的ではない考え)ではないと錯覚するような表現のしかた

が行き過ぎた表現(翻訳?)であり

幻想は神・キリストのものではない

の翻訳は

「幻想は神・キリスト(現実)には実在していない

と翻訳すべきであったとおもいます

神・キリストの現実には実在していない

しかし

神の子の想像であるため

その誤り(想像)を

神が創造している聖霊(リアル)が想像を訂正しようとしている」

と翻訳するべきなのです。

「たんに幻想は神・キリストのものではないという表現は」

学習者を混乱させ

「もし?」を自我がしたなら、?どうやって癒しが可能になるのかわからなくなり

神・キリストは感知(関わらない)しないので

たんにそんな自我が自死すれば、じぶんがいなくなればいいことなんだと

学習者に罪悪感を抱かせることにもつながりかねない

危険な表現なのである



神・キリストが「もし?」をしたことを否認して

自我(いきつく先は学習者)に責任転嫁することになるからである

しかし

は神・キリストが想像したものなら

私は自死(罪悪感)することなく、神・キリスト(ハート)に
癒されることでしょう


これは翻訳のあやまりなのかもしれませんね

奇跡のコースは完成された最高度の教えですが

根底の問題における翻訳の表現の行き過ぎにより

ゆるしの全体系が意味的に
不可能となってしまっていることに注意すべきだと思います。

以上

奇跡のコースにたいして
感想をのべさせて
頂きました
^^


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