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奇跡のコースの世界観の誤り

1いつもある精神統一:2017/11/25(土) 20:14:04 ID:QMoySvSgO
わたくしの教えが 正しいのてある

奇跡のコースを捨てなさい

わたくしに意見するやつらを呪詛してやる

2いつもある精神統一:2017/11/25(土) 23:02:42 ID:QMoySvSgO
神は
どこまでが父でどこからがキリスト(子)であるかを区別しないと

神の使者の本でコースを引用していたよね

そして

キリストが「もし?」という想像(現実的ではない考え)をした

と神の使者の本でかいてる

すなわち

神(・キリスト)が
「もし?」とやっちゃったわけだ



神(・キリスト)は感知しません

だとさ

それを選択したのは幻想の意識でしょだって?

神(・キリスト)は
感知もせず責任をみとめたら
現実にしてしまうと恐れてるらしい

「想像なのに」

変だよね



だれが想像をやめるの(癒す の)

原因でしょ?神・キリスト以外に最初の原因があるの?
彼が無視して感知してない(否認してるから)


奇跡のコースでは考えているから奇跡のコースの学習者がやる癒しは

愛ではなく想像の力でやるしかなく観念的で

愛じゃないのです

だから赦しても実感わかりにくいわけだ
だって想像の力だから

そりゃ原因の力じゃないからとうぜんでしょ

奇跡のコースが想定した無視する神が責任とらずに、自我に責任転嫁して

自我(想像)にやらしてるわけだから

自我に責任(原因)ないのに

自我に癒させようとしてるから


それはじつは無理(破綻)なわけです

なぜなら

想像に想像を疑え(ヒーリングしろ)

ていっても無理だから

想像に想像をやめる力はない

でもそれは奇跡のコースの思想であって

実際の神(・キリスト)は無責任ではない

癒しは冷たくはない

実際の神

ヒーリングは

なのです

3いつもある精神統一:2017/11/26(日) 08:21:25 ID:QMoySvSgO
奇跡のコースの世界観(日本語翻訳)のズレ(破綻)とは

想像を

自我がしたものとするため

つまり神・キリストの「もし?」

をみとめないことにより
赦しではなく、許し(自我の立場の現実にしてしまう許し)

になってしまうことである

奇跡のコース自身が
真のゆるし(赦し)を提唱しているのにもかかわらず

矛盾したことを最初にいってしまったのである

「幻想は神・キリストのものではない」と

しかし責任を自我に転嫁すると

原因は自我になり

それを癒すことは不可能になるのである

わたくしは奇跡のコース
は完成された最高度の教えだと信じていますが

最初の否認
幻想が神・キリストのものではないという表現つまり
もし?が神・キリストの小さな狂気の考え(現実的ではない考え)ではないと錯覚するような表現のしかた

が行き過ぎた表現(翻訳?)であり

幻想は神・キリストのものではない

の翻訳は

「幻想は神・キリスト(現実)には実在していない

と翻訳すべきであったとおもいます

神・キリストの現実には実在していない

しかし

神の子の想像であるため

その誤り(想像)を

神が創造している聖霊(リアル)が想像を訂正しようとしている」

と翻訳するべきなのです。

「たんに幻想は神・キリストのものではないという表現は」

学習者を混乱させ

「もし?」を自我がしたなら、?どうやって癒しが可能になるのかわからなくなり

神・キリストは感知(関わらない)しないので

たんにそんな自我が自死すれば、じぶんがいなくなればいいことなんだと

学習者に罪悪感を抱かせることにもつながりかねない

危険な表現なのである



神・キリストが「もし?」をしたことを否認して

自我(いきつく先は学習者)に責任転嫁することになるからである

しかし

は神・キリストが想像したものなら

私は自死(罪悪感)することなく、神・キリスト(ハート)に
癒されることでしょう


これは翻訳のあやまりなのかもしれませんね

奇跡のコースは完成された最高度の教えですが

根底の問題における翻訳の表現の行き過ぎにより

ゆるしの全体系が意味的に
不可能となってしまっていることに注意すべきだと思います。

以上

奇跡のコースにたいして
感想をのべさせて
頂きました
^^

4ミジメな暴力団=病んだ神:2017/11/28(火) 05:02:36 ID:QMoySvSgO
わたしは以前書きましたが
幼いころより、西日本最大の日雇い労働者の街を目の当たりにしてきました(オーケストラの練習で通ったとき、その存在をしったからです)。

それからの人生
ことあるごとに
数年前まで
その日雇い労働者の街のある新今駅の駅(通天閣のある新世界のすぐ近くでもあります)からおりて
街をすべて廻り道路上の浮浪者に寄付をして
夏の暑い日に過ごしたこともあります
(実際、半分以上は、ことわられました。なぜなら彼らは夏の猛暑でもダンボールを集め、リヤカーでひき、プライドがありました。そして彼らの対応はとても紳士でした。簡易宿泊施設の前で立っている彼らは、とても心のやさしい人たちでしたよ。)

数年前までといったのは
腰椎分離症の痛みが増してきたので
もう外出は控えるようになったためです

仕事の量も職場に言って、減らしてもらいました

いまは車の運転と通院介助にかぎって仕事をしています

仕事の量もへったので
そして収入もへったので、生活費で家族に迷惑がかからないように
友達と外食などほとんど行ったことがありません

いっさい趣味などなく

学びのために
スピリチュアルの本を買うか映画をレンタルするかに
なけなしのお金を使っているだけです

あんたに
俺の金の使い方や
生活態度にあれこれ口出しされる覚えはない

おれはハートにしたがって

おれが今やるべきことをやってるだけだ

わかったか?
あ?

二度とえらそうなクチを叩くな

迷惑なんだよ!


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