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覚醒者はストーリーを語って良いのである
1
:
覚醒者サマンサ
:2016/12/11(日) 13:26:02 ID:QMoySvSgO
僕は以前に20代の頃に
コンビニでアルバイトをしていたことがあります
なぜか自分の市ではなく
隣りの市である
その後いずれ引っ越すことになる富田林市(PL:パーフェクトリバティ教団がある。ちなみに信者ではありません。)
に所在している
大阪芸大
に一番近いコンビニで働くようになったのです。
そのときは
まったく意識するわけもなく たまたまみつけた仕事でした
その勤務中で店のなかでバイオリンを習っていた
先生ご夫妻に何回か再会しました。
プロのバイオリン奏者なので おそらく大阪芸大に音楽を教えに通っておられていたからかもしれません。
つまりハートはわたしをみはなしてはいなかっということです
そのころはコンビニで働きながら大学での宗教哲学への関心をやめ、宗教自体に関心がうつっていました。
日蓮宗系に在家で、所属しました。 その仏教系の宗教は排他的でしたが。よい面もありました。 それは団結力です
そしてもうひとつは題目を唱えることでした(題目とは、南無妙法蓮華経を専心して唱えることです)
題目を自宅で唱えるとき 本来、安置するご本尊さまに対して唱えるのですが 僕は親の反対のため
安置できませんでした
そのため 想像で思いうかべて それにむかって題目を唱えていました
宗派の一大事の行事があるときはその成功と無事に自分が参加できることを願って、在籍するお寺の提案で、在家の信徒の各自が30万回唱えたことがあります(もちろん何ヵ月もかけてですが)
僕の場合は実際の物としてのご本尊がないため こころのなかのご本尊に唱えるしかなかったので より強力な修行になりました(それはあとでしりました。
ラマナマハルシのマントラの道を選ぶ場合に関する教えで)。
つまり親の反対もすべパーだったわけです。
そこからやがてはスピリチュアルに関心が移行することになり、 奇跡のコースで学ぶことになりました
やがて 聖霊はじぶんのなかにいる ということが
パパジやラマナマハルシのおかげもあり判明し、奇跡のコースも理解しやすくなりました。
マントラ(題目)をとなえることは こころのご本尊にとなえていましたがそれは自分自身に唱えていたのです
それが自我にとってしてみれば 想像のこころの対象としてそれにむかって唱えていたのです
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