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悟り全般に関すること【その2】
56
:
慧空
:2015/07/10(金) 13:23:53
羊さん
どうしようかと思ったのですが、ちょっと厳しいことを言わせていただきますね。
羊さんの書かれる文章には、言葉(考え)が多く、囚われが多いんです。
>>54
のそんなに長くない文章の中だけを見ても、言葉や囚われがともて多いんです。
この際、それを指摘させていただきますね。
>でも虚無に浸るような悟りなど、私に言わせれば悟りではありません
悟りとはこういうものだという囚われがあります。
>私の考える悟りとは、生命の漲るパワーに圧倒されながら一瞬一瞬がギラギラと輝きだすようなもの
>それを体得した真の覚者とは、感謝あり喜びあり慈悲にあるのです
「漲るパワー」、「ギラギラと輝き出す」、「感謝」、「喜び」、「慈悲」
羊さんが良いと思われている言葉やイメージがこれでもかというぐらい出て来ています。
どれも羊さんが自分の勝手な好みで選択された、あるいは握り締めておられる考えです。
>少なくとも面倒だとかの表現は、あり得ません
「あり得ない」と断言される根拠はおありなのでしょうか?
どういう根拠や確証に基づいてそこまで強く断言されるのでしょうか?
そのように「こうだ」と断言される判断の根底に、羊さんが握り締めておられる囚われがあります。
>表現するときは喜びとともに表現する
>そういうものでなければ揺れ動くでしょう
「喜びとともに表現するものだ」、これも囚われです。
苦しみとともに表現しても別にいいじゃないですか。
苦しみとともに表現するのでは、なぜダメなのでしょう?
どこがダメなのでしょう?
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