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悟り全般に関すること【その2】
542
:
めがね
:2016/11/27(日) 13:06:44
以前私もかなり気になっていた部分について
書いてみようと思います。
『悟りが進むにつれて動けなくなる』これについて
明確にしたいと思います。
自我の掴んでいる考えを手放す事とそれは同じです。
例えばタバコの吸い殻をポイ捨てしている人を見た時
思わず『何、あの人!!(`Д´) 』と言って気分が悪くなり、
体の状況は力が入って何とかしたくなるようなこわばった状況になる。
ポイ捨てを掴んでいる人は無意識に行動してしまいます。
動き(言い)たくなくても動くとゆうことです。しかしこれを動けるともいいます。
悟りが終わりる事で有る程度の量の衝動が止まると言います。
衝動に捕らわれににくくなるったり衝動を何とかなくそうと反対に大きくしている事がなくなる
など色々な面がありますが
この衝動とは先ほど書いたポイ捨てを絶対の悪い事と掴んでいる事と
同じようなことです。ポイ捨てはエネルギーが大きくて頻度は少ないとも言えます。
衝動とはこれをやったら楽しい、幸せになると無意識に体を動かそうとすることです。
感情に捕らわれていることです。
その私を突き動かす衝動のエネルギーは小さいですが頻繁に訪れ時間に対する量は膨大です。
その多すぎて頻繁に起こる衝動により、手を持ち上げたり足を動かそうとす事を
考えると同時の様に無意識に突き動かされています。
その衝動が止まった時、相対的なもう一面を体験することで
こんなにも頻繁に小さな感情に突き動かされ行動していたのに気付く事になります。
衝動が止まった時私が風邪を引いて高熱が出た時の様にだるく動きにくく感じたのは
ごくごく普通の生活を送っていましたがそんな状況でも
衝動が止まった時すでに『体を動かし過ぎ』だったからでした。
その後の数日も以前までの動き方が普通でしたので体に限界がきて
動けなくなる事を体験していました。
それほどまでに突き動かされる衝動がない事が動けないと考えてしまうほど
自我の私にとって衝撃なのです。
1週間もすると「うごけない」のそれが「普通」になり
普通の人が急いで生きている様に見えるようになります。
全ては相対的に自我の私は感じます。
その突き動かす衝動が無くなる事で動けなくなるともいいますが
体的には今までの状況が動き過ぎだったとも言えます。そして健康になります。
今までやれていた事がやれなくなると書いてあると
あたかも残念な気分になりますが本質的にはやりたくなくなったと言えます。
私にはやりたいのにやれなくなった事はありません、やりたいことはやれます。
今は動けないとは思っていませんし、眼鏡屋の仕事は普通にできています。
安心して進んでください。全ては相対的です。
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