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自覚スレ
84
:
武
:2018/10/06(土) 10:34:16
>実際は私の現状に対して、
>その状態に無い人に明確な表現の方法がかなりの困難なものです。
参考までに次の方の説明が私の状況です。
私以外の違う方の表現を持ってきましたが、
それでも本当にその状況の者にしか分からないはずです。
もっとも、私が手引きして至られたあの方も、この状況です。
「自己喪失の体験」バーナーデット・ロバーツより
>この第二の変化の本質は外にあるすべてのものの脱落で、その結果、
>あの素晴らしい「一なること」も、
>個々の物に焦点を当てられる立体鏡も無くなり、
>「見ること」は突然盲目にされてしまいました。
>こうして私は内にも外にも何も無いという耐えがたい状況で生きる事になったのです。
>これについて、言葉で表すのは難しいのですが、もう少し書いてみましょう。
>
> 最初はどこを見ても何もないということで当惑しただけでしたが、
>「一なること」に溶け込もうともしない全般的な空虚のために、
>特定の物や観念に心を留めることができないのです。しかし時がたつにつれて、
>償いとなるものが何もないので、この状態が次第につらくなって来ました。
>内にも外にも絶えず虚無だけを見ることは何とも言えない徒労で、
>耐えがたいことなのです。
>沈黙した心のままで会話もできることが分りました。
>ただし言葉が何も考えずにその場で出てくる場合だけで、
>はじめは実際的な事柄に限られて、しかもごく短いものでしたが、
>そのうちにこういう心の外での会話が楽にできるようになりました。
>この旅について特に強調したいことは、
>最後に存在全般にわたる虚無に出会わなければならなかったことです。
>これは私にとっては神なしで生きることを意味していました。
>こうして希望と信頼を奪われ、究極の実在なしに生きることに十分に慣れ、
>ついにこの状況を受け入れるほかなくなった時にはじめて、
>突然「それ」が真理でありすべてであることが分かったのです。
>沈黙した心のままで会話もできる
これと次の方の表現が同じことを指しています。
「I AM THAT 私は在る」(ニサルガダッタ・マハラジ)
>私は無だ。
>何ももたず、何もできない。
>だが、すべては私から立ち現われる。
>その源が私だ。
>その根底と源泉が私なのだ。
これは内面を沈黙させたままでの対話、唯(ただ)やっているだけの行為、
唯作を現しています。
>こうして私は内にも外にも何も無いという
私の状況として既にお話しした、内面が無い、外にも認識できる対象が無い、
意識の焦点機能の消失、何も無い、禅の言葉で内外打成一片、
この方は私と同じ状況です。
>個々の物に焦点を当てられる立体鏡も無くなり、
>これについて、言葉で表すのは難しいのですが
>実際は私の現状に対して、
>その状態に無い人に明確な表現の方法がかなりの困難なものです。
その状況に至っている者として、口を揃えてそう言うより他には有りません。
もっとも、私はこの方同様に不可抗力的にこの状況に至り、
その後は元には戻れません。
そればかりか、さらに、もう一人手引きまでしてしまいました。
釈迦の言っていた悟りです。
慧空さは慧空さんで、各々が各々の好みの道を歩まれればよろしいと思います。
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