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自覚スレ

63:2018/09/30(日) 09:48:09
(続きです)

慧空さんは、最初から特化したサマタ瞑想系の才能がおありの
方のように見受けましたが、その分だけ観(自己洞察系)のウエイトは
少なくて済んだのではと私は思っています。

ですので、慧空さんの本質はサマタ瞑想の得意な方向けなのかも
しれません。

その分私の方が、観(自己盗洞察系)の訓練には特化したものを
持っている可能性があるのかもしれません。

サマタ瞑想無しの、観の訓練だけで観の成就は
乾観者と言いようですが、
一人だけでも観の訓練の終点まで手ほど出来たので良かったと
思っています。

http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-61.html

その方自身もとても有難がっていましたが。

この状態になってしまうと、
唯(ただ)言っているだけの心を込めた表現は出来なくなってしまいます
が、有難かったという事です。

しかし、観(自己盗洞察系)の訓練を成就して唯作になると、
振る舞い方は本当に普通の人なので、
誰からも特殊な人と見抜かれるような事はありません。

死に物狂いの事をした結果、最終的に普通の人になるわけですから、
当の本人が一番唖然としてしまうような結果です。

やる前とやった後では、確かに何かが違うのですが、
私は命懸けで何をやってきたのだろうと、
のど元過ぎてしまうとそのような感触ですね。

仏教では解脱と言う表現では「慧解脱」と「心解脱」、
両方揃って「俱解脱」と表現してますが、
慧解脱を悟りと表現しています。

心解脱のみは、不還、有学、時解脱で、
慧解脱と俱解脱が阿羅漢、無学、不時解脱、悟りの分類に
なっているようです。

私の経験則の枠の中で重要として捉えているポイントしては、
観の成就、涅槃、心臓の感覚をポイの3点です。

観の成就は当然慧解脱ですが、
涅槃か心臓の感覚をポイのどちらかが、恐らく心解脱です。

慧空さんに特化したものは、サマタ系能力だと思います。

私の場合はサマタ系ではなく自己洞察能力の方が特化していました。

慧空さんとのプロセスの違いはここから来ているように思います。

>五下分結経(マハーマールンキャー・スッタ)
>
>「尊師よ、もし、これが、出離の道ならば、
> 心が解脱した者と、智慧によって解脱した者。
>その両者の違いとは、如何なるものでしょうか。」
>
> 「アーナンダよ、能力の違いと、私は解く。
> 禅定に優れた者は、心による、解脱を果たし、
> 智慧に優れた者とは、慧による、解脱を果たす。」

私の場合は、たとえ死んでも前進するレベルの「強靭的な意志力」を
手に入れている状態の方であれば、
私がその方の眼の役を務めることで私の所まで
辿り着かせられる確率はかなりあると思いますが、
さすがによほどの懇願でもされない限りは試す気にはなりません。

千載一遇的に、それに合致する方が居られたので、
その方は私の所までたどり着けたと言う事はありました。

ただ、こうやって慧空さんにお話をしているのは、
これ以外の何かがあるのかもしれないし無いのかもしれないし、
見落としがあるのかもしれないし、そう思ってお話をしています。


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