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自覚スレ

267:2018/12/12(水) 03:01:50
スリンさん

>乾観者の阿羅漢や、倶解脱の阿羅漢も通過点なのですか?

ちょっと口が滑ってしまったようです。

この表現は現代の現状では、あまり使うべきでは有りませんでした。

以前私は途上の者表現を好んで使っていましたが、
文句を言われた事がありました。

確かに今まで生きてきた中で、
ネット上も含めてまともにお話しした方の中で、
私を超える人が居たかと言うと居ませんでした。

それこそ、悟りを達成しようと難行、荒行している人もいるでしょうし、
命を落す方も発狂される禅僧もおられる可能性もありますし、
そのような中で私が達成しているのに、
その私が途上の人表現は使うべきでは無いと思いました。

多くのお弟子さんを持つマスターゲート氏ですら、悟っておられず、
いまだに「自覚」と言う方便と取っ組み合いの真っ最中です。

それ位に悟りは、難易度の高いものです。

ゲート氏にしても悟らずに良しとしたかったのでは無く、
運よく悟った師に巡り合えなかっただけだと思います。

私自身がのど元過ぎて忘れている感があるので、
うっかり軽はずみな言動が出てしまいました。

特に現代は末法の世で、
経典は有っても悟った人がいないと予言されて来た時代です。

相応部経典
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52237523.html

>そのとき尊師は、ひとり隠れて、静かに瞑想に耽っておられたが、心のうちにこのような
> 考えが起こった。---
>   「他人を尊敬することなく、長上に柔順でなく暮らすことは、やり切れないことである。
>  わたしは、いかなる〈道の人〉またはバラモンを尊び、重んじ、たよって生活したらよいのだ
> ろうか?」と。
>3.そのとき尊師は次のように思った、---「まだ完全に実践していない戒めの体系を完全に
> 実践するために、わたしは他の〈道の人〉あるいはバラモンを尊び、重んじ、たよって生活し
> たいものである。しかしわたしは、神々や悪魔や梵天を含めての全世界のうちで、〈道の人〉
>  やバラモンや神々や人間を含めての生きもののうちで、わたしよりも以上に戒めを達成し実
>  践している人なるものを見ない。---わたしは、その人をこそ尊び敬いたよって生活したい
> のであるが。

(中略)

>8.むしろ、わたしは、わたしがさとったこの理法を尊び、敬い、たよって暮らしたらどうだ
> ろう。」

この経典を見ても分かる通りで、悟ったから万歳というものではなく、
鈍感な者は別として感覚が鋭敏であれば途上感が残ります。


小空経
http://manikana.la.coocan.jp/canon/sunna.html

>(すなわち)あったのは、欲の煩悩によるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。
>あったのは、生存の煩悩によるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。
>あったのは、無明の煩悩によるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。
>あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、
>(それは)命あるものであることを縁とすることによっている、ただこの不安だけである。

鈍感な者は別ですが、欲の煩悩も無く、生存の煩悩も無く、
無明の煩悩も無いどのような高い境地でも残り物であり不安、
すなわち途上感が発生します。

時解脱涅槃と言う絶対の境地があります。

しかし、結果としてその途上感を手掛かりに、
私にしても悟りの純度が高まったのが事実です。

自説経8-1
>「汝ら修行者たちよ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
>火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
>非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。
>汝らに告げるが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、
>留まることもなく、死去することもなく、転生することもなく、
>よりどころもなく、発展もなく、支えもない。それが苦悩の終わりである」


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