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自覚スレ

225:2018/11/25(日) 00:48:47
多少の補足説明です。

>いつも意識は漠然としていて、
>それを状態として捉える意志機能は私にはありません。

あえて「漠然」と言う、
誰にも比較的身近に通じそうな泥臭い表現を使いましたが、
EO氏は体裁よく「意識の拡散」と表現しています。

沢庵は不動智神妙録で「千手千眼」と表現しています。

しかし、このような日常を発想できない整った用語では、
特殊感が強く一般に通じません。

EO氏
>実際問題として、光明を得た者の特徴を思い出してみるとよい。
> 彼らには、あきらかに、意識の集中機能の低下が見られる。
>それは、低下というよりも、意識の「拡散」あるいは「拡大」とも言えるだろう。
>だが、共通することは、彼らはどうしても特定のものには集中できないという事だ。
>その意識の焦点は平均的な基準から言えば、「度が過ぎているほど散開している」と言
>ってもよいだろう。
http://www.mumyouan.com/e/eouch2.html

EO 地球が消える時の座禅
>それは、もう、ただの
>呆然自失だ。
>なぜならば、
>呆然そのものこそ
>我々の本当の
>主人公だったのだから。


ちなみにラマナ・マハルシの引用をしたのは次の点です。

ラマナ・マハルシ
>真我の中から心が外に出るとき、
>世界が現われる。
>
>それゆえ
>世界が(実在として)現われているとき
>真我は現われない。
https://ameblo.jp/ooinarukuu/entry-11627084400.html

この方の場合は表現が紛らわしく、
真我(アートマン)と言う状態があるものと勘違いされるような表現を
取ってますが、真我(アートマン)と言う状態はありません。

実際は「意識が全ての把握機能を放棄したこと」を
真我(アートマン)と表しています。

バーナーデッド・ロバーツにしてもしかりです。

聞く人になんらかの状態を連想させてしまいますが、
言いたいことは違います。

バーナーデッド・ロバーツ 自己喪失の体験
>相対的な心で「それ」を対象化できないことが分かるとともに、
>それをいつも見る秘訣が分りました。それは注目しようとしないことです。

この点で七転八倒した釈迦のように、
最初から「非我(アナートマン)」とだけ表現していれば紛らわしくありません。

苦労した方の教えは良いもので、そのお蔭で、
私はトラップにはまること無く通過しました。

実は釈迦のアナートマンはアートマンの事ですが、
常に意識は何かを捉えようとする習性があるため、
意識の把握機能の放棄のことで何らかの状態を連想させないために
アナートマンの表現です。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism52.html

(続きます)


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