したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

自覚スレ

211:2018/11/15(木) 07:03:15
つよしさん

>・「意識の焦点」が当たったところに認識が起きる。

原始経典用語で識別作用、EO氏の表現で意識の焦点機能、
私の表現する認識は同じものを別表現で表しています。


>・「意識の焦点」を動かしコントロールしていると思っている自我(通常の意味での私)さえも意識の焦点上に起こるものであると理解する。

大きな決め手は「意志」が関与しているかどうかです。

バーナーデッド・ロバーツ(自己喪失の体験)
>私の今度の旅は、個人としての活力の源泉をなす意志の働きが
>止まったことに始まり、
>この働き無しに生きるのに慣れる過程だったと見ることができます。

>・自我は正体を見抜かれたことにより「意識の焦点」から認識を連鎖しなくなる。
> 連鎖してもそれを掴む自我がないため言わば茫然。
> 「視覚とは別に何も見ていない」という状況になる。


何も見ていないと言うのは、通常の人の場合は、見ると言う行為に、
アストラル体の行為も付随して視覚情報を見ており、
これを一括りにして当たり前の違和感ない見るの感覚としていますが、
悟った我々はアストラル体で行為していません。

アストラル体の行為は滅尽しました。

慧解脱を果たす前には無かった、パラドキシカルな2重感覚の正体は、
この辺りから来ています。

バーナーデッド・ロバーツが達成した後に
「こうして私は下りて来た丘をまたのぽっていったのですが、
実は何ものかが丘を下りて行ったまま、
ついに帰ってこなかったのです。」
「自己喪失の過程での変化がどうして起こるのかわかりませんが、
あの丘では、何か新しいものが現れたか、
古いものが消えたかどちからであることはすぐに分かりました。」


悟りを果たす前まで当たり前のようにしていた、
行為を為す者が居なくなったのですね。

私が悟る前からターゲットとして捉えていたのが、
この行為を為す者でしたので、これが同居していた時には、
これを殺すことが最優先で、身動きが取れませんでした。

その時には、このような悟りと言うパラドキシカルな、
行為を為す者からの解放された自由な状況が来ることは、
夢にも思いませんでしたので、
死ぬまで一生行為に不自由と言う制限をかけて生きていく覚悟でした。

このように悟りとは、狙って得られるものではありません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板