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自覚スレ
202
:
武
:2018/11/13(火) 23:57:33
つよしさん
少し間合いを置いたので、質問に答えましょうか。
私の論法のクセで、学校の先生のようにテキストを指示しながら
説明をすると言う特徴がありますので、
決して受け売りではありませんのでその辺はご容赦ください。
自らの理解できる範囲の事柄を引用しています。
ちなみに、バーナーデッド・ロバーツは私と同水準の方ですので
とても引用しやすいのですが、しかし、
あの方の場合は、20年かかってますが、
私は1年少しで達成しています。
私の場合は、自己洞察力が鋭敏だったことにより、
かなり強引(エゴイズム)な手法を使った事によります。
観るものは観られるもの、
これもどういった事かがだいたい分かりました。
バーナーデッド・ロバーツも途上で時解脱的に、
それを経験してましたね。
そして、私もそれに近いものを時解脱的に経験しておりました。
>認識についてですが、
>具体的には物を見ても記憶からその物に関する情報が起きないのでしょうか?
>ただ色がそこにある、みたいな。
>しかしそうだとすると、「色」も認識のひとつかと思いますがどうなのでしょう?
>ただ色がそこにある、みたいな。
このような捉え方もありません。
常に視覚と虚無が同居していると表現すると、
これが我々の日常の当たり前です。
日常よくある表現でお話しすれば、
どこにも焦点を合わせずに、
ただぼうぜんとして想念も無しに立ち尽くしている状態、
認識機能の部分に限ってだけこの状態に近いものになっています。
物を対象化してとらえた時には、対象化としての自己も発生します。
これは相対性の関係でそのようになります。
よって対象化した自己を捉えなければ、
物を対象化して捉える事も無くなります。
この両者は相対の関係性にあるものです。
はっきり言えば、
認識面においては茫然としたままにしておくようなものです。
悟りの達成で、意志が機能させられないので、
私達の場合はこうするしか手がありません。
ラマナ・マハルシ
>自己が現われると、すべてが立ち現われ
>自己が静まれば、すべては静まる。
C:\Users\Toshiba User\Desktop\覚悟\「私は誰か?」 〜 ラマナ・マハルシの教えの精髄が説かれている対話集 大空からのメッセージ ∞ ハートがすべて.mht
つまり、何か見ていると言う、意志行為が無いので、
視覚があっても対象としてあると言う捉え方が発生していません。
つまり、視覚とは別に何も見ていないと言う、虚無が常時あります。
この世界の虚無のお蔭で、私の意識は平安の境地です。
さすがに、釈迦当時から彼岸と呼ばれてきただけのことはある
境地です。
ラマナ・マハルシ
>世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき
>心は幸福を体験するのである。
>
>世界が現われると、不幸を味わうのである。。
C:\Users\Toshiba User\Desktop\覚悟\「私は誰か?」 〜 ラマナ・マハルシの教えの精髄が説かれている対話集 大空からのメッセージ ∞ ハートがすべて.mht
ちなみに、ラマナ・マハルシは、
慧解脱のパラドキシカルな虚無の境地のことを
「真我(アートマン)」と表現しています。
ラマナ・マハルシ
>真我の中から心が外に出るとき、
>世界が現われる。
>
>それゆえ
>世界が(実在として)現われているとき
>真我は現われない。
C:\Users\Toshiba User\Desktop\覚悟\「私は誰か?」 〜 ラマナ・マハルシの教えの精髄が説かれている対話集 大空からのメッセージ ∞ ハートがすべて.mht
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