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自覚スレ
193
:
武
:2018/11/07(水) 03:59:15
>私に何か言いたいのなら、真っ直ぐに来なさいよ。
>そういう屈折したところに、タケちゃんの囚われが潜でるんだよ。
折角出てきたので、そのついでに真実を述べさせていただきました。
折角のお声かけですので、
それではEO氏お墨付きの原田雪渓氏の慧空さんの解説について
お話し申し上げましょう。
>「気づき(サティ)」と「今」が一緒にされるのは、悟っていない方々の
>特徴の一つです。
この様な方々がおられるのは事実ですが、
原田雪渓氏はこのような方々と異なります。
このような方々の特徴は「今を生きる」とか、
この手の表現を多用されるのが特徴です。
http://chino-sommelier.jp/wp/2016/08/24/nikon/
原田雪渓氏は同じ「今」の表現を使っていても異なります。
原田雪渓氏
>生きてもいないし、死んでもいない。"今"というのはそういう状態です。
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E6%88%91%E3%81%AE%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E2%80%95-%E3%83%BB%E7%A6%85-%E3%81%9D%E3%81%AE3-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E9%9B%AA%E6%B8%93/dp/493890201X
実際にこの方は生きているのに、にもかかわらず、
「生きてもいない」とこのようなパラドキシカルな表現が出てくる方は
相当の水準の方です。
慧空さんは「今」と言う言葉さえ使えば皆同じ水準の方だと
思ってしまわれていますが、
「今」と言う表現を使う方々でもこのように2種類おられますから、
慧空さんは前者の、「今を生きる」の表現を使い回す方々の事を
指しています。
確かに、原田雪渓氏の「今」に近いものを慧空さんが経験しているのは
真実ですが、それは慧空さんの考えているものではありません。
ずばり、時解脱涅槃がそれに一番近いものです。
それは、状態では無く、知覚できるものでもありません(不可知)、
この点が共通しており、異なる点は感覚の有無だけです。
知覚対象追求での終点が時解脱涅槃で唯一「状態」では無いものですが、
もう一つの終点の慧解脱も「状態」ではありません。
名称と形態、ナーマルーパ、この二つの異なるベクトルは
古来より存在していました。
(続きます)
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