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自覚スレ
182
:
慧空
:2018/11/05(月) 10:38:16
どうして自らの囚われや主張に気づけないのか。
それは、彼らが余りにも当たり前のこととしてしまっているため、
それが盲点となり、気づけないのです。
囚われとは、そういうものなのです。
盲点となるのです。
別の言い方をすると、彼らは「今だ」などと認識し、主張しているその主張に対する吟味が足りないのです。
本当にそうなのかという吟味が足りないのです。
自らの主張に気づき、それに対して徹底的に検証し、吟味していくと、
一切のことがらに根拠がなく、また何も知り得ないという分かってきます。
また、一切のこと、この世界そのものである私という存在が意識(識と言ってもいいです)の連鎖的な展開である
ことが分かってきます。
これが大悟となります。
大悟まで来ると、私という存在を含めて一切に「これだ」ということが何も無いことが分かっていますから、
何か具体的な概念を主張することも無くなります。
軽はずみ「今」などと言うことも無くなります。
上で紹介した「観るものは観られるもの」は、小悟階層から大悟階層に到達する途中で体験するものなのです。
囚われがさらに減り、それに伴って思考が相当減ってくると、より深い観照意識が表面化するとともに、
「観ている」という視点の欠落(正確には、欠落感)や、自我感覚の欠落(正確には欠落感)が生じ、
主体が落ちて観ている対象だけになる意識状態が生じます。
それを「観るものは観られるもの」と言います。
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