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自覚スレ
142
:
武
:2018/11/02(金) 03:07:39
つよしさん
>あるがままの世界を「これがあるがままの世界だ」とレッテル付けを誰がしているのだろうか?
中々良い質問です。
悟った人でも普通人同様に生きているのに、変だろう、
と言う種類の質問ですね。
実は、悟った人である慧解脱者はパラドキシカルな世界で生きています。
心が沈黙したまま、言葉が発せられ、行為が現れ、しかし、
言葉を発している者や行為者はいない。
以前ご紹介したバーナーデッド・ロバーツのおどろおどろしい表現が、
実はあの方の慧解脱したての頃の表現です。
「自己喪失の体験」バーナーデット・ロバーツより
>この第二の変化の本質は外にあるすべてのものの脱落で、その結果、
>あの素晴らしい「一なること」も、
>個々の物に焦点を当てられる立体鏡も無くなり、
>「見ること」は突然盲目にされてしまいました。
>こうして私は内にも外にも何も無いという耐えがたい状況で生きる事になったのです。
>これについて、言葉で表すのは難しいのですが、もう少し書いてみましょう。
>
>最初はどこを見ても何もないということで当惑しただけでしたが、
>「一なること」に溶け込もうともしない全般的な空虚のために、
>特定の物や観念に心を留めることができないのです。しかし時がたつにつれて、
>償いとなるものが何もないので、この状態が次第につらくなって来ました。
>内にも外にも絶えず虚無だけを見ることは何とも言えない徒労で、
>耐えがたいことなのです。
>沈黙した心のままで会話もできることが分りました。
>ただし言葉が何も考えずにその場で出てくる場合だけで、
>はじめは実際的な事柄に限られて、しかもごく短いものでしたが、
>そのうちにこういう心の外での会話が楽にできるようになりました。
>この旅について特に強調したいことは、
>最後に存在全般にわたる虚無に出会わなければならなかったことです。
>これは私にとっては神なしで生きることを意味していました。
>こうして希望と信頼を奪われ、究極の実在なしに生きることに十分に慣れ、
>ついにこの状況を受け入れるほかなくなった時にはじめて、
>突然「それ」が真理でありすべてであることが分かったのです。
これは、慧解脱達成したての時に、
その事をそのまま無理して表しています。
表現としては、なりたての人の表現なので生々しいです。
「認識」と言う言葉を普通に使い回す慧解脱(悟り)前の人には、
これは理解できる代物ではありません。
(続きます)
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