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悟り以外のいろいろなこと
188
:
あなわ
:2016/01/19(火) 16:55:20
仏法における真理を書いときます。あくまで私の認識ですが法理としてはまあ、だいたい合ってるとは思う(笑)
まず仏法における正念とは、無念無心であり、今、瞬間を心して生きる事。これが悟りを開いた後も前も変わらず解脱するまでの光道であり釈尊の解脱に至る正道のはずです。これが肝です。
この今、瞬間が明確にわからない場合は100%何かに囚われており、無念無心ではないはずです。
これは空だの如法だの只管だの只だの、色々と呼ばれますが意味は同じです。宇宙に複雑かつ難解な真理など存在しません。複雑化するのは人間のエゴで、癖みたいなもんかな。
完全に今、瞬間に在る時、心境では無念無心です。それを一瞬でも無念無心かどうか探れば、瞬時に無念無心ではなくなります。という事は、今すら認めない今が本来、全ての囚われを超えた悟りの境地というわけです。つまり悟りとは誰もが届く境地なんです。神格化するのも人間の癖でしょう。その一大事因縁が悟りであり、全て、全てを捨てきった消息が解脱です。
悟ってその感覚に浸る事、眺める事、それらは既に思考であり、今からズレてますので、次第に囚われる形になるはずです。我流の危険性はココにあります。
何かを探したり、認めたり、自我を探ったりなども瞬時に今から外れ、無念無心ではなくなります。基本的にしようとする行為全てが囚われとなります。これが思考の影武者であり誰もがハマるワナです。従って白隠禅師曰く、無念の念を念とする事が悟後の修行でも肝でしょう。只管で只管を破り、捨て切り、悟りきった消息が解脱です。
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