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悟り以外のいろいろなこと

170あなわ:2015/12/30(水) 17:03:32
思考と囚われについて、私が理解している限りを
パソコンで例えてみます。

①意識、思った事、確信、信念、認識、、全て、全てが考えであり囚われとなる可能性があります。思考はPCでいうメモリーのようなもので、HDDから出した情報をメモリーという作業場で構築するわけで、思考が終われば、メモリーからその情報は消失します。

しかし、囚われに分類される思考は、作業が終わった後もメモリーから消失しないのです。
つまりメモリーに残った思考の分類が①であり囚われとなります。

この場合、メモリーが重くなり作業が困難になります。つまり、これが苦です。

今、瞬間に生きよう!と実践し続ければ、今瞬間にいきる。という思考の糸がメモリーに残る事になります。囚われです。全く不自由です。それが信念になっている場合、囚われ続けます。

また逆に今、瞬間の境地に達したとします。その瞬間は無念無心でメモリーには思考の糸はどこにも残ってません。自由です。しかし、これが今、瞬間なんだ!と認識して認めてしまったとします。←これが実はすでに思考であり、メモリーに瞬時に、これが今だ!という思考という糸が現れ、瞬時に無心無心から煩悩の世界に戻ってしまいます。

今、この瞬間の境地は認識したら今、この瞬間ではなくなる為、理解できなかったわけです。結論からすると今以外には生きられなかった。今の状態すら眺めてもいないのですから。←(今の状態を眺めようとすると、その思考が糸となり出現してこれまた瞬時に無念ではなくなってしまいます)

沢庵禅師は、この有様を不動智神妙録にて、心をどこにも置かぬ事として、説いてます。

逆に今しか生きられないなんて肩苦しく不自由に感じるかもしれません。しかしそれは全く違うんです。
むしろ、思考やイメージは自由自在に出来ます。それ、そのもの以外には思考する事はないので、純粋思考となるわけです。思考に囚われなければ、思考した糸はスムーズに瞬時に消え、思考が終わっても完全に消失する為、何ものこりません。そうするとつまり今、この瞬間というわけです。Celeronからいきなりcorei7、になるようなもので、囚われがないので処理能力は最大加速します。

従って自由自在にして何ものにも囚われない境地。それが今、この瞬間にして、心境では無念無心というわけかと思います。

しかし、です。

実はこれが今、この瞬間にすら完全に無念無心ではない可能性があります。
それが、

②メモリーに残る、自分の意識ですら気付く事も出来ない程の思考形態の存在。です。

これは完全に禅に没頭している時、凄まじいエネルギーが突き抜ける直前に、全く無意識にして認知不能な思考がジンワリ溶けた感覚があったので、そういう無意識下に存在する囚われがある可能性を否定出来ないとは思います。私はその思考が溶けた後、おおっ!と心境を認識してしまったので、またまた無念無心では無くなりました(笑)その思考は透明な思考、、みたいな感じかもしれません。

②あたりからは推測です。そんなもんないかもしれませんし、あるかもしれません。
ただし、いかに認識出来ない思考があろうとも
無念無心によって溶かすことが可能なはずです。
仏道では無心無心とは、正念であり、それは即ち、今、この瞬間の事。かもしれませんね(^^)


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