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自覚の方法に関すること
263
:
高山
:2015/01/12(月) 23:04:32
慧空さん
>>
どうしてお釈迦さまが解脱した思うのか、実は私自身にもよく分からないのです。
まず第一に、なぜだか、感じるようにしてそう思ってしまうのです。
その直感の一つとして、例えば「無明」という言葉があります。
私にはこの「無明」という言葉が、言葉にできはいほど深く響くのです。
>>
お釈迦さまが解脱の悟りを得られたとき、それはとてもシンプルな気づきだったとのことでした。
解脱の悟りは、まさにその通りでして、本当にとても簡単であまりにも有り触れた気づきなのです。
こういうことが起きているのですね。
体験をされて、そのことに確信がある方から出て来ている言葉なのだな、と思います。
釈迦の悟りにしても、私含め、多くの人が快楽の絶頂のような至高体験を想像していますが、
それだけに慧空さんの所感には真実味を感じます。
やはり体験することですね。本を読んであれこれ推測してもどんどん遠のくばかりで…。
慧空さん推奨の自覚法を、去年3ヶ月ほど試してみたのですが、胸に「私」をどうしても感じられず、中断しました。3年くらい前までは、胸の中心部にはっきりと感じていたのですが、一昨年、去年と、「私」の位置がみぞおち、そして下腹部へと降りていき、胸は空き家のような感覚に(対人関係で大きな緊張に遭遇する時は、今も胸で衝撃を感じるので、「私」は残っていると思うが、内観では頑張っても見つけられない。また大金を損した時などは、私の場合はお腹に力が入らなくなり、気力が失せていくのがよくわかるので、腹にも「私」はいると思っています。こちらは内観でも確かな感覚として感じられる。坐禅中は下腹部で「私」を感じています)。
これまで参じてきた坐禅には少なからず失望していますが(先輩方を見ているとむしろエゴの強い、鼻持ちならない奴になってる方が圧倒的に多く、「こうはなりたくないな」と)、乗りかかった船、行ける所まで行こうと思ってます。いずれ船を降りる時が来るかもですが、その時まで。
坐禅の体系には或いは、安全装置のようなものが取り付けられている気もします。
行き過ぎてしまわないように。
皆が一気に解脱してまとめて勤労意欲を失ったら、社会生活が成り立たなくなるでしょうから。
まあそれでも人間は生きていくだろうし、真剣に発心している人には、「安全装置」などありがた迷惑だと思いますが。
ともあれ、これからもブログと掲示板、修行の参考にさせていただきます。
この度はありがとうございました。
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