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自覚の方法に関すること

262慧空:2015/01/06(火) 22:24:27
高山さん

座禅を殆ど知らない私が言うのは問題があるのかも知れませんが、
仰る通り、お釈迦様の教えと禅は、かなりかけ離れていると思います。
唯一共通しているだろうと思うところは、
修行の中に、呼吸に集中して瞑想する数息観を取り入れているところだけだと思っています。
お釈迦さまは、基本的に、数息観で集中力を養った後は、
自分に意識を向けて、自分の意識の迷いに気づきなさいとしか言わなかったのだろうと思います。

縁起は、龍樹が提唱したものではなく、お釈迦さまが提唱したものですよ。
龍樹が主にフォーカスしたのは、「空」です。

>「唯識の「識」すら消えるのか? 消えるのだな…」

これが、禅定の最深部である完全な無我、涅槃です。
彼女は独りでに涅槃に落ちてしまう方のようです。
でも、禅定と悟りとは基本的に全く別のものですから、この点、誤解なさらないように。
現に彼女は、「在り続けたい」という強い執着を持ち、迷いの中にいます。

>それはたとえば岩波文庫で「ブッダのことば」として出ているスッタニパータや、
>ダンマパダ、阿含経など、釈迦の言葉とされている初期仏教の経典から感じられたことですか?

どうしてお釈迦さまが解脱した思うのか、実は私自身にもよく分からないのです。
まず第一に、なぜだか、感じるようにしてそう思ってしまうのです。
その直感の一つとして、例えば「無明」という言葉があります。
私にはこの「無明」という言葉が、言葉にできはいほど深く響くのです。
それとこんな点も、共感を感じています。
お釈迦さまの言葉がどこまで正確に伝わっているか大いに疑問ではありますが、
お釈迦さまが解脱の悟りを得られたとき、それはとてもシンプルな気づきだったとのことでした。
その気づきが余りにも簡単なものであったため、その気づきを誰かに話しても、それを真面目に聞く人はいないだろうと思ったとのことでした。
解脱の悟りは、まさにその通りでして、本当にとても簡単であまりにも有り触れた気づきなのです。

第二の理由としては、お釈迦さまが縁起をご存知だったことです。
縁起には、解脱の悟りへの深いヒントが秘められているのです。
その視点には、どうして私たちが迷ってしまうのかについてのヒントが秘められているのです。

そんな感じなのですが、何か気になられることがありましたら、遠慮なく仰ってくださいな。


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