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自覚の方法に関すること
252
:
慧空
:2015/01/03(土) 21:22:40
高山さん
「考えとは何か」、ここをぜひご自分で追求して頂きたいところですが、
私のブログを読まれるとその答えは書いてますので、ここでも書いてしまいますね。(^^)
私に起こってきている考え(認識と言ってもいいですが)に意識を集中して、徹底的に観察していくと、
考えが、カメラの連写のように、パッ、パッ、パッと断続的かつ連鎖的に起こってきていることが分かるんです。
そのとき、そこには連鎖的に起こってくる考えだけがあり、それ以外のものは何も存在しないのだということが実感として分かるんです。
そこには、私という存在(自我)もありません。
敢えて言えば、その連鎖的に起こってくる考えそのものが私であるという理解が得られるのです。
結論として、考えとは私(自我と言ってもいいです)そのものであるということになります。
そしてここが、、考えや私という存在に対する理解の限界点になります。
考えや私という存在について、それ以上追求することは不可能なのです。
例えば、考えはどこから起きてくるのだろうとか、
考えは何によって構成されているのかとか、
どうして私という存在が生成されたのか等の追求に対する解答を得るのは、
永久に不可能なのです。
考えについて推測を使って精一杯の追求をして、
考えはどうやら何も無い完全な無(この「無」も既に考えですが、笑)、
もっと言えば、考えの一切無いところから生じてきているようだという推測をするのが精一杯なのです。
なお、この私の理解は唯識派の理解と類似してますが、彼ら唯識派は肝心要のところで、
私という絶対的なものが有ると言ってしまっていますので、私の理解とは根本的に異なります。
こんな感じでお答えになりましたでしょうか。
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