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★聖体奉仕会5〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★
75
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:42:34
>>49
>>74
よりつづく
〇五木寛之
だから、二度と飢えた子供の顔じゃなくて大人の顔を見たくない。
二度と飢えた子供なんて甘っちょろいこと言うよ、と思ったんですけどね。
そんな中で、自分を守るということより、
僕の場合には母親が終戦直後に亡くなっていましたから、
弟と赤ん坊の妹は、長男である僕の責任だ。
自分だけならともかく、その二人を守らなきゃいけないでしょう。
そのためには、ほんとうにもう、人を殺してでも生きていかなきゃいけない。
それはもう悪人とか善人とか......善と悪との区別って相対的なものなのです。
●本田哲郎
そうですね。そういうことなのですね。
〇五木寛之
そういう状況を超えて来ている多くの人たちは、引き揚げの体験者以外にも、
第二次世界大戦の体験者には、たとえばユダヤ人、
アウシュヴィッツ(収容所)の人たちとか、山のようにいるでしょう。
そんなかたに、戦中・戦後体験を語れ、なんて言うけど、
ほんとうの体験なんて語られていませんよ。
戦争の体験は、じつにいろいろなものが冷凍庫に入れられて扉を閉めて、
ほんとうのことは誰も言わない。
そういう欺瞞の上に成り立っているのが今のこの国の状況ですし、
昔もそうであったのではないかと思ってしまうわけです。
>>76
へつづく
76
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:43:12
>>49
>>75
よりつづく
このように、敗戦と引き揚げという混乱の中で、
人を押し退けてでも前に出るようなエゴの強い人間が
生き残ってきたという思いがあるものですから。
自分の中にその後ろめたさがある。
「悪人」とはこういう人じゃないかというのは、全然関係ないですよ。
とにかく、こういう人間が生き延びてきたという。
我欲が強く、人を押し退けてでも前に出るような人間が生きて帰ってきた。
「善き者は逝く」(善人は早く亡くなる)ということばが、
僕はすごく心に沁みるのです。
●本田哲郎
あぁ......。
〇五木寛之
そんな人間として生きてきたのだからという、
後ろめたさが戦後ずっとあって、青春時代でも、
能天気に嬉しかったことは、ほとんどないですね。
いつも心に一点、曇りがあった。
自分は人を蹴落として生き延びてきた人間だということ。
こういう気持ちの人は、きっと多くいると思います。
●本田哲郎
......。
〇五木寛之
日本へ帰って来られた人間はすべて「悪人」だと。
残された人間が善人なんだと。
>>77
へつづく
77
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:43:58
>>49
>>69-77
よりつづく
そういう気持ちがあるものですから、
こんなふうにして生きていていいのかな、
という後ろめたさがずーっとあり続けたのですが、
後に親鸞の考え方とかそのことばを聞いて、
いや、自分も生きていていいんだという、
それこそ赦されたという感じがしたのです。
●本田哲郎
そういうことですね。
〇五木寛之
親鸞のことばのなかに、
「ひとりいて喜んでいるときはふたりいて喜んでいると思え、
ふたりいて喜んでいるときは三人いて喜んでいると思え。
そのひとりは親鸞である」(「御臨末の御書」)とある。
ひとりで悲しんでいる、あるいは喜んでいる。
そういうときはひとりなのじゃない。この親鸞もそこにいる、と。
寄り添ってくれる存在の心強さがあれば、
孤独も恐くないのかもしれません。
●本田哲郎
そうですね。
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