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★聖体奉仕会5〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★

73カトリックの名無しさん:2025/06/23(月) 13:41:06
>>49 >>72よりつづく
 家も接収されて追い出され、ありとあらゆるものが取り上げられたのですが、
 そんなことぐらいでは済まない。
 「女、出せ」と来るわけですよ。そうすると、倉庫にいる人たちは、
 女性は隠しているのだけど、どうしても誰かをソ連軍に出さなきゃいけない、
 ということになってくる。
 誰を出すのかということを話し合います。
 若い娘さんはダメだし、こっちの人は子供がいるし......。

 結局、水商売をやっていたような人のほうへ、みんなが、
 日本人会の世話人などが無言の圧力をかける。
 するとそういう人は、あきらめるんです。「私が行きます」と。

●本田哲郎
 ......(深いため息)。

〇五木寛之
 人身供養にして、その人が連れていかれる。
 しばらくしてぼろぼろになって帰ってきたり、帰って来なかったりするのだけど、
 帰って来たとき、ある母親が自分の子供に
 「病気うつされてるかもしれないから近寄っちゃだめよ」と言ったんですよ。
 ほんとうだったら、そこへ土下座して、涙ながらに拝まなきゃいけないのに。

●本田哲郎
 ほんとに。

〇五木寛之
 そういうものなんです。
 そういう世界を通過してくると、悪人、善人を区別するどころの話じゃない。
>>74へつづく

74カトリックの名無しさん:2025/06/23(月) 13:41:58
>>49 >>73よりつづく
●本田哲郎
 ああ......。

〇五木寛之
 これも前に書きましたが、亡くなった野坂昭如さんが選挙に出たとき、
 応援演説に行ったことがあるんです。
 彼が「二度と飢えた子供の顔は見たくない。戦争に反対だ」というのを
 選挙のスローガンにしていた。
 僕は応援演説に行って、彼(野坂)はこんなこと言っているけど、
 僕は全然、反対だと。僕は二度と飢えた親の顔を見たくないと言った。

●本田哲郎
 うーん。

〇五木寛之
 それは、三十八度線を越えてケソン(開城)という所で
 収容されて難民キャンプに入っていたときに、
 食う物も食わず、妹と弟と、鉄条網のところに突っ立っていたら、
 通りがかりの朝鮮人のオモニ、
 おばさんが芋をひとつ鉄条網越しに渡してくれたんですよ。
 子供が飢えて可哀想だと思ったのでしょう。
 そうしたら、どーんと突き飛ばされた。
 日本人の大人の男が、弟が持っている芋をかっさらって逃げて行ったんです。
 
●本田哲郎
 ふう。
>>75へつづく

75カトリックの名無しさん:2025/06/23(月) 13:42:34
>>49 >>74よりつづく
〇五木寛之
 だから、二度と飢えた子供の顔じゃなくて大人の顔を見たくない。
 二度と飢えた子供なんて甘っちょろいこと言うよ、と思ったんですけどね。

 そんな中で、自分を守るということより、
 僕の場合には母親が終戦直後に亡くなっていましたから、
 弟と赤ん坊の妹は、長男である僕の責任だ。
 自分だけならともかく、その二人を守らなきゃいけないでしょう。
 そのためには、ほんとうにもう、人を殺してでも生きていかなきゃいけない。
 それはもう悪人とか善人とか......善と悪との区別って相対的なものなのです。

●本田哲郎
 そうですね。そういうことなのですね。

〇五木寛之
 そういう状況を超えて来ている多くの人たちは、引き揚げの体験者以外にも、
 第二次世界大戦の体験者には、たとえばユダヤ人、
 アウシュヴィッツ(収容所)の人たちとか、山のようにいるでしょう。

 そんなかたに、戦中・戦後体験を語れ、なんて言うけど、
 ほんとうの体験なんて語られていませんよ。

 戦争の体験は、じつにいろいろなものが冷凍庫に入れられて扉を閉めて、
 ほんとうのことは誰も言わない。
 そういう欺瞞の上に成り立っているのが今のこの国の状況ですし、
 昔もそうであったのではないかと思ってしまうわけです。
>>76へつづく

76カトリックの名無しさん:2025/06/23(月) 13:43:12
>>49 >>75よりつづく
 このように、敗戦と引き揚げという混乱の中で、
 人を押し退けてでも前に出るようなエゴの強い人間が
 生き残ってきたという思いがあるものですから。
 自分の中にその後ろめたさがある。

 「悪人」とはこういう人じゃないかというのは、全然関係ないですよ。
 とにかく、こういう人間が生き延びてきたという。
 我欲が強く、人を押し退けてでも前に出るような人間が生きて帰ってきた。
 「善き者は逝く」(善人は早く亡くなる)ということばが、
 僕はすごく心に沁みるのです。

●本田哲郎
 あぁ......。

〇五木寛之
 そんな人間として生きてきたのだからという、
 後ろめたさが戦後ずっとあって、青春時代でも、
 能天気に嬉しかったことは、ほとんどないですね。
 いつも心に一点、曇りがあった。
 自分は人を蹴落として生き延びてきた人間だということ。
 こういう気持ちの人は、きっと多くいると思います。

●本田哲郎
 ......。

〇五木寛之
 日本へ帰って来られた人間はすべて「悪人」だと。
 残された人間が善人なんだと。
>>77へつづく

77カトリックの名無しさん:2025/06/23(月) 13:43:58
>>49 >>69-77よりつづく
 そういう気持ちがあるものですから、
 こんなふうにして生きていていいのかな、
 という後ろめたさがずーっとあり続けたのですが、
 後に親鸞の考え方とかそのことばを聞いて、
 いや、自分も生きていていいんだという、
 それこそ赦されたという感じがしたのです。

●本田哲郎
 そういうことですね。

〇五木寛之
 親鸞のことばのなかに、
 「ひとりいて喜んでいるときはふたりいて喜んでいると思え、
 ふたりいて喜んでいるときは三人いて喜んでいると思え。
 そのひとりは親鸞である」(「御臨末の御書」)とある。
 ひとりで悲しんでいる、あるいは喜んでいる。
 そういうときはひとりなのじゃない。この親鸞もそこにいる、と。
 寄り添ってくれる存在の心強さがあれば、
 孤独も恐くないのかもしれません。

●本田哲郎
 そうですね。


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