[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
★聖体奉仕会5〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★
72
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:40:28
>>49
>>71
よりつづく
●本田哲郎
ええ。
〇五木寛之
そう思うと、いわゆる善人とは、
自分が悪人だという意識などない人のことを言うのでしょうね。きっと。
●本田哲郎
うん、うん、うん。
〇五木寛之
自分は立派に生きていて、世間に対して何ら恥ずるところがなく、
胸を張って、誰からも後ろ指を差されず生きていると思いこんでいる人のことを、
「善人」というのかもしれません。
・・・・・・
〇五木寛之
・・・
これは書いたこともありますが、戦後、私たち家族が収容された場所は、
満州からの引揚者がいたり、ごちゃごちゃに、
セメント倉庫などに突っこまれているわけです。
そこにソ連軍が進駐してきた。
最初にやって来た部隊は囚人部隊、懲役大隊といわれる兵隊たちでした。
都市を占領して一週間とかはやりたい放題やらせる。
これはもうジンギスカンの時代から軍隊の伝統なのです。
自動小銃を抱えて深夜に乗り込んで来るのですね。
>>73
へつづく
73
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:41:06
>>49
>>72
よりつづく
家も接収されて追い出され、ありとあらゆるものが取り上げられたのですが、
そんなことぐらいでは済まない。
「女、出せ」と来るわけですよ。そうすると、倉庫にいる人たちは、
女性は隠しているのだけど、どうしても誰かをソ連軍に出さなきゃいけない、
ということになってくる。
誰を出すのかということを話し合います。
若い娘さんはダメだし、こっちの人は子供がいるし......。
結局、水商売をやっていたような人のほうへ、みんなが、
日本人会の世話人などが無言の圧力をかける。
するとそういう人は、あきらめるんです。「私が行きます」と。
●本田哲郎
......(深いため息)。
〇五木寛之
人身供養にして、その人が連れていかれる。
しばらくしてぼろぼろになって帰ってきたり、帰って来なかったりするのだけど、
帰って来たとき、ある母親が自分の子供に
「病気うつされてるかもしれないから近寄っちゃだめよ」と言ったんですよ。
ほんとうだったら、そこへ土下座して、涙ながらに拝まなきゃいけないのに。
●本田哲郎
ほんとに。
〇五木寛之
そういうものなんです。
そういう世界を通過してくると、悪人、善人を区別するどころの話じゃない。
>>74
へつづく
74
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:41:58
>>49
>>73
よりつづく
●本田哲郎
ああ......。
〇五木寛之
これも前に書きましたが、亡くなった野坂昭如さんが選挙に出たとき、
応援演説に行ったことがあるんです。
彼が「二度と飢えた子供の顔は見たくない。戦争に反対だ」というのを
選挙のスローガンにしていた。
僕は応援演説に行って、彼(野坂)はこんなこと言っているけど、
僕は全然、反対だと。僕は二度と飢えた親の顔を見たくないと言った。
●本田哲郎
うーん。
〇五木寛之
それは、三十八度線を越えてケソン(開城)という所で
収容されて難民キャンプに入っていたときに、
食う物も食わず、妹と弟と、鉄条網のところに突っ立っていたら、
通りがかりの朝鮮人のオモニ、
おばさんが芋をひとつ鉄条網越しに渡してくれたんですよ。
子供が飢えて可哀想だと思ったのでしょう。
そうしたら、どーんと突き飛ばされた。
日本人の大人の男が、弟が持っている芋をかっさらって逃げて行ったんです。
●本田哲郎
ふう。
>>75
へつづく
75
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:42:34
>>49
>>74
よりつづく
〇五木寛之
だから、二度と飢えた子供の顔じゃなくて大人の顔を見たくない。
二度と飢えた子供なんて甘っちょろいこと言うよ、と思ったんですけどね。
そんな中で、自分を守るということより、
僕の場合には母親が終戦直後に亡くなっていましたから、
弟と赤ん坊の妹は、長男である僕の責任だ。
自分だけならともかく、その二人を守らなきゃいけないでしょう。
そのためには、ほんとうにもう、人を殺してでも生きていかなきゃいけない。
それはもう悪人とか善人とか......善と悪との区別って相対的なものなのです。
●本田哲郎
そうですね。そういうことなのですね。
〇五木寛之
そういう状況を超えて来ている多くの人たちは、引き揚げの体験者以外にも、
第二次世界大戦の体験者には、たとえばユダヤ人、
アウシュヴィッツ(収容所)の人たちとか、山のようにいるでしょう。
そんなかたに、戦中・戦後体験を語れ、なんて言うけど、
ほんとうの体験なんて語られていませんよ。
戦争の体験は、じつにいろいろなものが冷凍庫に入れられて扉を閉めて、
ほんとうのことは誰も言わない。
そういう欺瞞の上に成り立っているのが今のこの国の状況ですし、
昔もそうであったのではないかと思ってしまうわけです。
>>76
へつづく
76
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:43:12
>>49
>>75
よりつづく
このように、敗戦と引き揚げという混乱の中で、
人を押し退けてでも前に出るようなエゴの強い人間が
生き残ってきたという思いがあるものですから。
自分の中にその後ろめたさがある。
「悪人」とはこういう人じゃないかというのは、全然関係ないですよ。
とにかく、こういう人間が生き延びてきたという。
我欲が強く、人を押し退けてでも前に出るような人間が生きて帰ってきた。
「善き者は逝く」(善人は早く亡くなる)ということばが、
僕はすごく心に沁みるのです。
●本田哲郎
あぁ......。
〇五木寛之
そんな人間として生きてきたのだからという、
後ろめたさが戦後ずっとあって、青春時代でも、
能天気に嬉しかったことは、ほとんどないですね。
いつも心に一点、曇りがあった。
自分は人を蹴落として生き延びてきた人間だということ。
こういう気持ちの人は、きっと多くいると思います。
●本田哲郎
......。
〇五木寛之
日本へ帰って来られた人間はすべて「悪人」だと。
残された人間が善人なんだと。
>>77
へつづく
77
:
カトリックの名無しさん
:2025/06/23(月) 13:43:58
>>49
>>69-77
よりつづく
そういう気持ちがあるものですから、
こんなふうにして生きていていいのかな、
という後ろめたさがずーっとあり続けたのですが、
後に親鸞の考え方とかそのことばを聞いて、
いや、自分も生きていていいんだという、
それこそ赦されたという感じがしたのです。
●本田哲郎
そういうことですね。
〇五木寛之
親鸞のことばのなかに、
「ひとりいて喜んでいるときはふたりいて喜んでいると思え、
ふたりいて喜んでいるときは三人いて喜んでいると思え。
そのひとりは親鸞である」(「御臨末の御書」)とある。
ひとりで悲しんでいる、あるいは喜んでいる。
そういうときはひとりなのじゃない。この親鸞もそこにいる、と。
寄り添ってくれる存在の心強さがあれば、
孤独も恐くないのかもしれません。
●本田哲郎
そうですね。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板