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★聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★
181
:
D.Christian☆Mary☆Jacob Israel
:2022/10/22(土) 16:46:36
★☆★過去レスリスト★☆★
>>2
>>95-98
>>178
>>179
>>172-177
>>180
よりつづく
★☆★聖ピオ神父様が受けた迫害から読み解く未来(補足・追加改訂版)★☆★
★西暦2010年――→(100年前)西暦1910年 聖ピオ神父がベネヴェントの大聖堂で大司教から司祭に叙階された年。
↓ 聖ピオ神父が祈りを捧げていると、イエス・キリストと、
↓ 聖母マリアが現れて、受難のしるしである聖痕の傷が断続的に現れ始めた年。
↓
★西暦2018年――→(100年前)西暦1918年 イエス・キリストの受難のしるしである聖痕の傷が継続的に現れ始めた年。
↓ この年以降、生涯最後の年、西暦1968年まで続く。
↓ 50年の長きにわたり聖痕の傷を身体に保ちつづけた歴史上初の司祭であった。
↓
★西暦2019年――→(100年前)西暦1919年 この年の前半までに、聖ピオ神父の聖痕の話が俗世界に広まっていった。
↓ この年初めて教皇庁検邪聖省は聖ピオ神父が公にミサを立てることを中止させ、
↓ ピオ神父の聖痕の傷について調査を開始した。
↓ ミサ中止の命令は市民のバチカンへの請願により15日後、撤回された。
↓
★西暦2020年――→(100年前)西暦1920年 世界中の新聞が聖ピオ神父について特集記事を出すようになる。
↓ 教皇庁が騒動などを恐れ聖ピオ神父を他の地域へ異動させる、との噂が当地で広がる。
↓ 現地の人々は他所者たちが頻繁に訪れてくることで、
↓ 聖ピオ神父に近づけなくなることを恐れた。
↓ この年の「10月14日、住民たちは町の広場に集合し、棍棒や熊手、それに多くの人たちが
↓ 戦争の後陸軍から盗んだ銃、剣や銃剣を振り回した。集会は暴徒と化し、
↓ 14人が死に、80人が怪我をしてから、平穏に戻った。」
↓ この暴動は、剣邪聖省に聖ピオ神父移動の実行を促した。
>>182
へつづく
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