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聖テレジア

19カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:03:33
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 16

 テレジアの父が病気になりました。誓願式の時には、式にもあずかれないほど重くなっていました。こうして、6年の闘病生活に耐えた父は、1894年、セリーヌの看病をうけて聖人のような死をとげました。世間にとどまる必要のなくなったセリーヌも、2か月後にカルメルへ移り、すべてをイエズスにささげました。

 父が亡くなった同じ年、テレジアののどは、激しい炎症をおこして痛みはじめました。つとめを怠らず耐えてきた2年目の聖木曜日のことです。ご聖体のまえでひと晩じゅう徹夜する許可を願いました。しかし、許されたのは12時まで。さて、個室に帰って頭を枕につけると、とつぜんテレジアは、天からの呼び出しをうけたように思いました。次の朝、くちを拭いたはんかちを見ると、はたして、大出血だったのです。わたしも近いうちにイエズスの所に行けると思うと、テレジアの喜びは大きくなっていきます。

 それからは、シスターたちに暖かく見守られて暮す日々でしたが、ある晴れた日、車椅子に乗せてもらって、ひさしぶりに庭に出ました。ここで、テレジアは、自叙伝の最後の個所を書いたのです。その後は、病室に移って3か月のあいだ一度も起きれません。テレジアは、苦しみを英雄的な忍耐と愛で罪人の救いにささげました。それにしても精神的な悩みは、さらに苦しいのです。3か月間吐き気に悩まされ、聖体拝領はやっと2回きりです。医者の手当も甲斐なく、人間的にはどうすることもできなくなりました。こんな時でさえテレジアは、一つの詩をつくりました。

「愛のために死ねるとは、ああ、なんとすてきな殉教! わたしは、この殉教で死にたい。おお、やさしいみ主よ、わたしの島流しが終わろうとしています、わたしの夢を、愛のために死ぬこの夢を実現させてください」

 1897年9月30日のタべ、十字架のイエズスをみつめながら、かすかな声でいいました、「おお、わたしは愛します。わたしの神よ・・・わたしは・・・あなたを・・・愛します」

 最後のかがやく表情で!


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