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聖テレジア

17カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:02:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

 誓願をたてて完全に自分をイエズスにささげる準備は、修練長の指導に従うことです。テレジアは、そのとおりに実行しました。修練長はひじょうに喜びました。修練期はふつう一年ですが、教会のきめた年令になっていなかったので、テレジアには、20か月もありました。それが、これほどの大きな試練の日々になろうとは! テレジアの心を悩ませる思いが、つぎつぎと心に浮んでくるからです。

「わたしは、あんなにイエズスさまにささけたのに、イエズスさまのほうでは、わたしを捨てておしまいになったのでは?」

 こう考えないでいられないほど虚しい感情が心のどこからか、にじみ出てきます。もちろん、イエズスはテレジアをお捨てになりません。ただ、霊的楽しみからさえ清められた、ぎせいと離脱の真の愛をテレジアに求められただけでした。ついに試練はおわって、嵐のあとの光と平和のうちにテレジアは、誓願をたてました。それは、1890年7月8日で、はじめから荘厳な無期請願だったのです。テレジアが選んだ修道名は、幼ないイエズスのテレジア。聖母のご保護のもとで今はまったくイエズスの花よめです。習慣どおりその日一日じゅう、はらのかんむりを、かぶっていました。夕方、庭に出て星を眺め、テレジアは、思いだしています、空にTの字をみつけた日のことです、「きょうこそ、わたしの名が決定的に天にかかれた。イエズスさまの花よめになったのだから」と心にいいました。

 たしかにテレジアは、聖人になったのです。修道院に入って帰天するまでは、7年間の短かい期間でした。かの女は、大きな苦業も、ぎせいも、人をあっといわせる事柄も、たてませんでした。でも、その生活は、愛とぎせい! あるときは、長いあいだ病気のシスターの世話をしました。その人は、病気で気むずかしくなり、すべてが不満で、親切さえ気にさわるという人でした。ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。


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