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聖テレジア

1カトリックの名無しさん:2016/10/29(土) 00:31:21
聖テレジア

2カトリックの名無しさん:2016/10/29(土) 00:31:32
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ

 幼ないイエズスの聖テレジアは、わたしたちにも辿りやすい徳の道を開いたことで、あまりにも有名です。かの女は、貴金属と時計を商うルイ・マルタンを父に、刺繍のアトリエをもつゼリーを母に、1873年、フランスのアランソン町に生まれました。

 両親には9名の子宝に恵まれましたが生き残ったのは、末子のテレジアを入れて5名でした。しかもみな姉妹です。父の楽しみは、まい夜娘たちに教理を教えることで、そのあと家族はともに夕の祈りをしました。

 どちらかといえば、父はかわいさのあまり、娘たちをあまやかしていましたが、母は、厳しい教育をしました。両親は、子どもの教育に成功するようにと、毎日ミサにあずかり、たびたび聖体を拝領し、貧しい人への施しも忘れませんでした。はたして願いはききとどけられ、5人の娘は聖徳に進み、なかでも末子のテレジアは聖女です。

3カトリックの名無しさん:2016/11/09(水) 00:59:40

『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 12

「まあまあ、わが子よ、神のみ旨なら、はいるでしょう」

 教皇さまの目は、慈父のやさしさをたたえています。でも、ご返事は・・・やっぱり失敗だったと思うテレジアの心の空は、もう晴れてはいません。

 ローマから帰って、司教さまが約束してくださった返事を待つ4か月の苦しいこと!でもついに、待望の日がやってきました。1888年4月9日です。

 その朝、家族とともにカルメル修道院の聖堂でミサにあずかったテレジアは、聖体拝領をすると、父の前にひざまずいて、祝福を願います。感激のあまり父は泣きながら祝福をあたえ、テレジアは立ちあがって修道院のなかに消えました。

 志願者の粗末な服にきがえて、テレジアが案内された個室は、ベット用の二枚の板とわらぶとん一つ、水がめに、ランプと小さな椅子だけです。なんという違い、そして厳しさでしょう!志願期は、ためしの一年で、掃除と庭の草ぬきが仕事です。なれないテレジアを院長さまは叱り、ある日、みんなの前で、「やっぱり思ったとおりでした。掃除をしたのが15才の子どもだとすぐ分ります」といいました。テレジアは、黙って頭をさげ、「こんなふうにとり扱われるのは、わたしにとって喜びです。イエズスさま、あなたをお慰めできますから」と心のなかでいいました。

 1年たって1889年1月10日着衣式の日がきました。父がその日のために準備してくれたりっぱな花よめ衣裳をつけ、テレジアは、家族とともにミサにあずかりました。聖体拝領をすると決定的な別れの時です。父が祝福を与えると、開かれた門のまえに待っているシスターたちの所へ司教さまが連れていきました。テレジアのうしろで大きな門が閉じられます。

4カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:54:22
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ

 幼ないイエズスの聖テレジアは、わたしたちにも辿りやすい徳の道を開いたことで、あまりにも有名です。かの女は、貴金属と時計を商うルイ・マルタンを父に、刺繍のアトリエをもつゼリーを母に、1873年、フランスのアランソン町に生まれました。

 両親には9名の子宝に恵まれましたが生き残ったのは、末子のテレジアを入れて5名でした。しかもみな姉妹です。父の楽しみは、まい夜娘たちに教理を教えることで、そのあと家族はともに夕の祈りをしました。

 どちらかといえば、父はかわいさのあまり、娘たちをあまやかしていましたが、母は、厳しい教育をしました。両親は、子どもの教育に成功するようにと、毎日ミサにあずかり、たびたび聖体を拝領し、貧しい人への施しも忘れませんでした。はたして願いはききとどけられ、5人の娘は聖徳に進み、なかでも末子のテレジアは聖女です。

5カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:55:16
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 2

 生後33時間後、テレジアは教会で洗礼をうけました。代父は、親戚の12才の男の子、代母は、姉のマリアです。この日マルタン家は、盛大な祝日となりました。

 洗礼のあいだ、母は熱心に祈りました、「主よ、わたしのテレジアが大罪をおかすくらいなら、どうぞその前に早く死なせて、天国にお召しくださいませ」と。もしこのとき、赤ん坊が己れほど有名な聖人になると分っていたら、どんなに喜んだことでしょう。

 でも、喜びは今のところ、大きな試練を通らねばなりませんでした。小さなテレジアは病み、か弱いいのちは、もう風前のともしびです。今はこれまでと思ったとき、母は、心を天にあげ、「主よ、み旨のままに」と、すべてを神のみ手にゆだねたのです。とたんに、かたく閉じていたテレジアのまぶたが開き、母をみて、ほほえんでいるではありませんか!母は、もう天にものぼる気もちです。

 それにしても、あれほどの大病だったのですから、医者のすすめで、テレジアは、空気のよい田舎に1年半も過ごさねばなりませんでした。やっと幼な子がわが家に帰ってくると、とつぜん家の中に新しい天的光がさしてきたかと、みんなが感じたほど、この子はちがっていました。

 熱心な両親に見守られて、身も心も健康に育つテレジアちゃんの第一の遊び相手は、いちはん年下のセリーヌ姉さんでした。

 ある日、父に無愛想な返事をしたあと、いちはん年上の姉さんにとがめられました。悪かったと気づくと、もう一刻もじっとしていられません。痛悔のあまり、ワッと泣きだしながら、父のもとにかけつけました。「パパ、ゆるして……」。ゆるされて、やっとおちつき泣きやむテレジアちゃんでした。母に対しても、そうでした。かの女は、一分と待つことができません。

6カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:55:55
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 3

 ある日、父に無愛想な返事をしたあと、いちはん年上の姉さんにとがめられました。悪かったと気づくと、もう一刻もじっとしていられません。痛悔のあまり、ワッと泣きだしながら、父のもとにかけつけました。「パパ、ゆるして……」。ゆるされて、やっとおちつき泣きやむテレジアちゃんでした。母に対しても、そうでした。かの女は、一分と待つことができません。母の足元にひざまづいて

 「ねえ、ママ、ゆるして、もうこれから、決していたしません」というまでは泣きやまないのです。

 なんと賢いテレジアでしょう!こんなに小さいのに、どうずれば自分をしあわせにできるかよく知っています。それは、イエズスを喜ばせるために自分の欠点と戦って、心を清くすることです。

 「そうだ」とテレジアは考えます、「わたしの心は、イエズスさまが種をまいてくださった畑なんだわ。たから、よい実りのために悪い考えの雑草をぬきとらなくちゃ」と。

 それで、イエズスのお話を聞いたり、考えたり、祈ったり、そして、教会に行くことが大好きでした。ある日曜日、大雨で教会に連れていってもらえなかったときのことです。3才のテレジアは、教会に行きたいと、傘ももたず、ひとりで出かけました。気づいたお手伝いさんに連れ戻されたものの、一時間も泣きつづけたのでした。

 テレジアは、3才年上のセリーヌ姉さんとは大の仲よし。ふたりの好きな遊びは、どうすれば聖人になれるか話しあって工夫することです。

「ねぇ、お姉ちゃん、どうしたら、わたしたちは、欠点がなおせるの?」とテレジア。

「それはきまってるじゃないの、徳の花を、たくさんイエズスさまにさしあげることよ!」

「どうやって?」とテレジア。

「何かをぎせいにするの。でもね、イエズスさまのためにだけするのよ」

 ある日、ふたりが、庭のいちばんはしの所にこしかけて、大声で話しあっていました。《あれ、あの子たち、何事を話してるのかしら?》窓から、となりの奥さんが顔を出し、あとからご主人も、耳をすませてききました。でも、何の意味なのか、さっぱり分りません。

7カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:56:18
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 4

 おかあさんが病気になりました。ますます重くなっていきます。もうテレジアの世話ができません。悲しげなおかあさんの声が、娘ポリーヌをよばせました、「おお、ポリーヌ」

 やせ細った手で抱きしめるおかあさん。娘は、涙をじっとこらえました。母は、残りの力をふりしぼって、「姉妹たちをまかせます、どうぞ、おかあさんになってやってね」と願っています。

 「ええ、おかあさん、お約束します」ポリーヌの声がおえつでとぎれました。

 すぐ司祭が呼ばれました、最後の秘跡を受けて、深い信仰のうちに、おかあさんは帰天しました。テレジアは泣かないで、ほほえんでいいました、「おかあさんは、いま天国に行ったのよ、イエズスさまのそばで、どんなに楽しいでしょう」と。

 その日から姉のポリーヌがテレジアの母です。父は聖堂にいき、テレジアと長い祈りをささげ、娘たちの教育に全力をつくす決心をしました。

8カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:56:58
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 5

 父と散歩に行ったかえり道、日が沈み、空に宝石をちりばめたように星がかがやきはじめました。おとうさんに手をひかれてテレジアは、空を眺めました、《神さまがおつくりになったお空があんなにきれいなら、神さまは、どんなに美しいかしら!》と思っているうちテレジアは、すてきなものを発見しました。

 「パパ、見てちょうだい。あそこに、わたしの名が……ほら、Tの字に星が並んでるでしょ、テレジアのかしら文字よ」

 「おやおや、ほんとうだ、確かにTの字になってるよ。これはすごい!」パパも感心しました。テレジアに空を眺める興味ができたのは、その時からでした。《やっぱり神さまは、わたしを愛していらっしゃる、名を天にかいてくださるんだもの、きっと天国に連れてってあげるということだわ》と考えたのでした。

9カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:57:49
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 6

 イエズスさまは、おおせになりました、「天の国は、暴力でせめられ、暴力のものがそれを奪う」(マタイ11・12)と。

 すると、努力なしには、天国にいけないことになります。この暴力の意味をテレジアは、よく知っています。自分の悪いくせや誘惑に戦って勝つことです。だから、母がわりの姉さんが、きびしく教育をするとき、つらくても、自分のためと考えて、まいにち、たくさんの徳の花をイエズスにささげました。

 主は、またあるとき、こうおっしゃいました、「助けるために、小さな人や貧しい人、困っている人にしてあげることは、わたしにしてくれることになる」と。

 それで、マルタン家では、前から貧乏人に施しをする習慣がありました。それは、たいてい月曜日になっていたので、その日になると、午前ちゅうにたくさんの貧乏人が訪れます。

 ある日、姉のポリーヌが、テレジアにいいました、

「テレジアちゃん、これからあんたは、貧しい人の召し使いになるのよ。月曜日の施しをくばる役目をあげるからね」

「わあ、うれしい!」テレジアは、とびあがって喜びました、「早く月曜日が来ないかなあ!」

 いよいよ、きょうは月曜日です。ほほえみながら、姉さんの準備したパンやお金を親切にくばるかわいいおじようちゃんに、貧しい人たちは、感嘆しました、「まるで天国からまいおりてきた天使みたい!」と。

 父と散歩するときも、出あった貧しい人に施しを渡すのは、きまってテレジアの役目でした。

10カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:58:17
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 7

 テレジアの心に、イエズスヘの愛が、しだいに強くなっていきます。

 まだご聖体のみ主をお迎えしていませんが、ミサにいくのが嬉しくてたまりません。まして、毎年さかんな聖体行列の行事が行なわれるご聖体の祝日は、まちどおしくてなりません。
 この日テレジアは、きれいな純白の服をきて、ご聖体を運ぶ神父さまの前に出ます。ご聖体のまえで花をまく役目をたのまれたからです。テレジアは、花びらを高く高くこ聖体にむかって投げたかったのです。地面にまくなんて思いもよりません。でも、夢中になっているテレジアに、おとうさんとお姉さんが、くり返していいました。

「それは、すてきなことだけど、徳の花をイエズスさまの前にまくのは、もっと大切だよ」

 そのチャンスがすぐやってきました。お散歩から帰ってきたある日のことです、

「お姉ちゃん、わたし、とっても、のどが渇いちゃった」と、台所にかけこんだテレジア。「そう、でもね、飲むのをちょっと待ったら、ぎせいをイエズスさまにささげられるわね、どう?」と姉。テレジアは、つかんだコップを離しました。《ええ、わたしは、ひとりの罪人を救うために、喜んでこのぎせいをささげるわ》と思ったのです。でも、わずか5-6才の子どもにとって、大きなぎせいでした。

 おとうさんは、娘たちを連れてよく川岸に散歩に出かけました。楽しみは、魚釣りです。そのあいだ美しい自然の中を走りまわる娘たちの楽しげな声が父の耳を喜ばせます。でも、テレジアは遊んでから、ひざまずいて、「おお、天のおとうさま、こんなにたくさんの美しいものを、つくってくださってありがとう」と感謝するのでした。

11カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:58:59
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 8

 テレジアは、8才と6か月で、姉さんたちと同じシスターの学校に通学します。セリーヌもいっしょです。テレジアは、仲よしになった友だちに、「ねえ、イエズスさまを喜ばせるために徳の花をささげましょうよ。」もれ聞いて、おどろくシスター。

 成長していくテレジアに、少しずつ分ってきたことがありました。それは、当時まだ、ちゃんとした学校にゆけなかった田舎の子どもたちのことです。

 さっそく子どもたちを集めて小さな先生は、教理を教え、祈りをさせます。教会にも、告白にも導いてあけます。こうしたある日、ふたりの女の子の貧しいおかあさんが病気になりました。それから、長いあいだ、テレジアの訪問がつづいたのです。病人の看病を子どもたちの世話!

 でも、子どもたちは、なぜかイエズスも、マリアも、天国も知りません。それでもやがて、テレジアの教える教理のお勉強に、かわいい質問がはじまりました。テレジアに教えられて、イエズスを喜ばせるための徳の花まで!

 1882年10月2日、おかあさんがわりだった姉のポリーヌが、父と姉妹に別れをつげてカルメル会にはいります。《一生涯を神にささげ、イエズスのことだけを考え、イエズスだげを愛し、イエズスのためにだけ生きたい。イエズスの苦しみに、わたしのぎせいをたくさんそえて、罪人の救いのために祈りたい》と前から考えていたからです。

 「そんなら、わたしもいっしょに修道院にはいりたい」と、テレジアがどんなにいっても、まだ9才になったばかりです。満16才にならないと、と断られてしまいました。いろいろとつもる悲しみに、とうとうテレジアは病気になりました。とても不思議な病気です。もうなおるみこみはありません。

 でも、必死に祈る家族の願いに、聖母のご像は、大きぐかがやいて、テレジアに近づいてきます。そのはほえみの甘美なこと! このしゅんかん、テレジアは、もう完全になおっていました。

12カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 05:59:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 9

 イエズスのおん母聖マリアのとりつぎで奇跡的になおったテレジアは、どんなに聖母を愛するようになったことでしょう。

 当時は満10才にならないと初聖体がゆるされなかったので、あと1年もまつのを、テレジアはとても辛く感じました。では、もっとりっぱに準備するため、徳の花をふやしましょうと決心したテレジアは、美しい一冊のノートをとり出しました。ポリーヌが修道院にはいるまえ、

「初聖体の準備として愛とぎせいの徳の花をここに書きなさい」といってくれたものです。テレジアは、できるだけたくさん書けるように、どんな小さな機会にも利用します。とうとう1884年5月8日になりました。

 はじめてご聖体のイエズスさまをいただく喜びで、テレジアの顔は、かがやくばかりです。シスターの学校でも3日間の黙想会を、このためにしていただきました。美しい白い服を着て、花のベールをかぶり、ミサにあずかりました。はじめから終わりまでテレジアは、もう嬉しくて、「愛するイエズスさま、わたしをあなたにおささげします」と、いくたび、くり返したでしょう!

 ご聖体をいただいたそのしゅんかん、そのほほを流れる涙が、かぎりないよろこびを映して、真珠のように光っていました。まるで天の喜びという喜びが、みんな小さな心に降りてきて、はり裂けるかと思われるほどです。

 初聖体の式は午前ちゅうに行なわれ、午後は、同じ仲間と、自分をマリアにささげる式です。このときも、みんなにかわって、その祈りをとなえるために選はれたのは、テレジアだったのです。ああ、どれほどの感激と感謝が、祈りのことばとともに天にのぼっていったことでしょう!

 初聖体の日の夕方、テレジアは、父といっしょにカルメル会の修道院を訪れました。ひさしぶりに見る婦の美しいこと!姉もまた白い花よめの服をつけ、頭にばらのかんむりをいただいています。姉のためにも、この日は、修練を無事におえて修道誓願をたてる日となっていたのです。その美しい姿は、イエズスの花よめとなったからでした。すぐテレジアの決心はきまりました、「そうだ、わたし、お姉さんのようにイエズスさまの花よめになるわ、あんなに美しい白いベルと花のかんむりをつけて・・・」

 でも、それから2年間もの長いあいだを、テレジアは悪魔のはてしない誘惑と戦わねばなりませんでした。

13カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:00:09
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 10

 ある日、テレジアの目にとまった十字架上のイエズスのご像は、あまりにいたましく悲しげです、《イエズスさまは、人々の救いのために、こんなにおん血を流されたのに、それでもお恵みに逆いて地獄にいく人がいるとしたら、どんなにみ心は苦しまれることでしょう》と、テレジアは考えました。このときから罪人の救いのための熱心な祈りとぎせいがはじまりました。

 ちょうどその頃、世にも珍らしいといわれるほどの大悪人が死刑の宣告をうけました。死刑までにわずか2-3日しか残されていないのに、かれはどんなに司祭が努力しても回心しません。これをもれ聞いたテレジアは、かれのために愛のかぎりをつくして、特別な祈りをささけました。

 そして死刑のあった翌日新聞でみたことは何だったでしょう?「イエズスさま、カれを救ってくださってありがとりこざいます」とテレジアかれは死刑台にのぼりつめたときとつぜん心を打たれたようにふり返って、十字架にせっぷんしたのです。

 テレジアは、大よろこび、心に叫んでいいました、「イエズスさまが、わたしの小さな祈りと徳の花をうけいれてくださった!ああ、なんというしあわせ! わたしは、ひとりの罪人の魂を救えた・・・それなら、10人、百人、千人、いやそれ以上の魂だって救えるでしょう。そうだ、カルメル会にはいろう。そして祈りとぎせいと、いや、このいのりだって、なん千人の罪人のためにささげましょう」と。

 それにしても、16才まで1年半あります。とにかく父にゆるしを願うことにしました。もう3人の娘をささげた父です。目にいれても痛くない末っ子までもといったら、どんな気持ちでしょう? テレジアは胸の病む思いでしたが、聖霊降臨の日に打ち明けました。父は泣きました。でもいいました、「主がお召しになる所にいきなさい。わたしの愛する娘よ」

14カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:00:33
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 11

 父は、テレジアとセリーヌをつれて、2週間がかりのローマ巡礼に出かけました。ひそかなテレジアの目的のためにもです。なんと楽しい旅行だったことでしょう。イタリアの有明な巡礼堂をまわって、ついに、あこがれのローマに。

 はじめて見る聖ペトロ大望堂にテレジアは感激し、その墓で熱心な祈りをささげます。謁見まで、一週間あります。巡礼者たちは、ローマじゅうの聖堂にもうで、カタコンブにたどりつきました。わたしも、ここに眠る人たちのように、イエズスのために愛の殉教者になりたい!テレジアの心にあつい望みが燃えました。

 1887年11月2日、日曜日、きょうこそ謁見の日です。はたして、うまくいくかしら?おお、神さまと、念じてテレジアは、もう列のなかを進んでいます。かの女の勇気をくじくかのように、「教皇さまの前では、ひざまずいておん手にせっぷんしたら、すぐ立ち上って行かねばなりません」注意がいく度もくりかえされます。

 さあ、テレジアの番です。ひざまずいて、せっぷんして頭をあげたそのとき、かの女のまなざしは、教皇さまのおん目をみつめて離しませ.ん。おお、なんという大胆さ、テレジアは、「教皇さま」といいました、「15才のわたしにカルメル会にはいる許しをお与えください」

15カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:00:56
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 12

「まあまあ、わが子よ、神のみ旨なら、はいるでしょう」

 教皇さまの目は、慈父のやさしさをたたえています。でも、ご返事は・・・やっぱり失敗だったと思うテレジアの心の空は、もう晴れてはいません。

 ローマから帰って、司教さまが約束してくださった返事を待つ4か月の苦しいこと!でもついに、待望の日がやってきました。1888年4月9日です。

 その朝、家族とともにカルメル修道院の聖堂でミサにあずかったテレジアは、聖体拝領をすると、父の前にひざまずいて、祝福を願います。感激のあまり父は泣きながら祝福をあたえ、テレジアは立ちあがって修道院のなかに消えました。

 志願者の粗末な服にきがえて、テレジアが案内された個室は、ベット用の二枚の板とわらぶとん一つ、水がめに、ランプと小さな椅子だけです。なんという違い、そして厳しさでしょう!志願期は、ためしの一年で、掃除と庭の草ぬきが仕事です。なれないテレジアを院長さまは叱り、ある日、みんなの前で、「やっぱり思ったとおりでした。掃除をしたのが15才の子どもだとすぐ分ります」といいました。テレジアは、黙って頭をさげ、「こんなふうにとり扱われるのは、わたしにとって喜びです。イエズスさま、あなたをお慰めできますから」と心のなかでいいました。

 1年たって1889年1月10日着衣式の日がきました。父がその日のために準備してくれたりっぱな花よめ衣裳をつけ、テレジアは、家族とともにミサにあずかりました。聖体拝領をすると決定的な別れの時です。父が祝福を与えると、開かれた門のまえに待っているシスターたちの所へ司教さまが連れていきました。テレジアのうしろで大きな門が閉じられます。

16カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:01:23
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 13

 司教さまと家族はみんなお聖堂に行って、着衣の式を待っていました。そのあいだ、父と別れたテレジアは、右の手にローソクを、左の手を院長にとられて廊下を歩きます。ふと目に入った幼ないイエズスの小さなご像!まるで自分にほほえみかけるかのようです。喜びにあふれて見るひだりての中庭に、テレジアは、あっと驚きました。

 庭を埋めつくした銀世界!思いもよらぬ純白の雪がつもっています。《着衣式の日に、白い雪を望んだわたしの密かな望みさえ、イエズスさまは聞き届けてくださった。だれがこれほどのおくりものを、愛する花よめに与えられましょう》とテレジアは思いました。

 その前日は、小春日和だったのに、ミサのあいだに急にふりだしたこの雪を、みんなも不思議に思いました。

 修道院に入ると個室で白い服を修練女の服にきがえ、美しい髪を切られて、白いベールをかぶらせられます。お聖堂にまつ人々には、格子の向こうに、大きなじゅうたんが藪かれ、ま'わりをゆりの花で飾っているのを見ました。

 ついにシスターの行列が現われ、テレジアはみんなに向かって格子の前にいます。うしろから修道服の白いマントを着せられると、かの女は、じゅうたんの上にひれ伏して、両手を十字架の形にひろげて待ちました。そのあいだシスターたちは、ローソクを手に、ミゼレレ(「主よ、あわれんでください」)の詩編を歌って、テレジアが世間に死んで、これからは、イエズスのためにだけ生きる使命をうけたことを告げるのでした。格子の向こうの深い沈黙!世間を放棄し、天使的な熱心さで自分を永久にイエズスにささげようとしているテレジアです。みんなは、感激のあまりに涙をおさえることができません。

17カトリックの名無しさん:2017/02/01(水) 06:02:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

 誓願をたてて完全に自分をイエズスにささげる準備は、修練長の指導に従うことです。テレジアは、そのとおりに実行しました。修練長はひじょうに喜びました。修練期はふつう一年ですが、教会のきめた年令になっていなかったので、テレジアには、20か月もありました。それが、これほどの大きな試練の日々になろうとは! テレジアの心を悩ませる思いが、つぎつぎと心に浮んでくるからです。

「わたしは、あんなにイエズスさまにささけたのに、イエズスさまのほうでは、わたしを捨てておしまいになったのでは?」

 こう考えないでいられないほど虚しい感情が心のどこからか、にじみ出てきます。もちろん、イエズスはテレジアをお捨てになりません。ただ、霊的楽しみからさえ清められた、ぎせいと離脱の真の愛をテレジアに求められただけでした。ついに試練はおわって、嵐のあとの光と平和のうちにテレジアは、誓願をたてました。それは、1890年7月8日で、はじめから荘厳な無期請願だったのです。テレジアが選んだ修道名は、幼ないイエズスのテレジア。聖母のご保護のもとで今はまったくイエズスの花よめです。習慣どおりその日一日じゅう、はらのかんむりを、かぶっていました。夕方、庭に出て星を眺め、テレジアは、思いだしています、空にTの字をみつけた日のことです、「きょうこそ、わたしの名が決定的に天にかかれた。イエズスさまの花よめになったのだから」と心にいいました。

 たしかにテレジアは、聖人になったのです。修道院に入って帰天するまでは、7年間の短かい期間でした。かの女は、大きな苦業も、ぎせいも、人をあっといわせる事柄も、たてませんでした。でも、その生活は、愛とぎせい! あるときは、長いあいだ病気のシスターの世話をしました。その人は、病気で気むずかしくなり、すべてが不満で、親切さえ気にさわるという人でした。ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。


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