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コルベ神父様
17
:
カトリックの名無しさん
:2016/02/04(木) 03:36:24
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)
40、礼拝堂が最初に来る
修道士たちの最初のグループがマキシミリアノと一緒に新しい場所に到着した。そして彼らはショベル、つるはし、その他の道具で、土地を開墾するために働いた。これは1927年8月の終りのことであった。マキシミリアノは彼らと一緒だった。彼らの仕事は速いペースで進んだ。彼らは一軒の農家の床にわらのベッドを作って眠った。そしてわずかしか食べなかった。
最初に建てるべき建造物は木造の礼拝堂であった。マキシミリアノはそこでミサを捧げ、神の栄光に仕えるため、そして汚れなきおとめを通じての霊魂たちの救いのために奉仕する場所を聖別した。
礼拝堂のバラックの周りに、印刷工場の異なった部門のための建物と同様に、修道士たちのための建物が建設された。
11月21日、[エルサレム]神殿への聖母の奉献の祝日に、聖マキシミリアノと共に働いていたグロドゥノのすべての修道士たちは新しい土地に旅行し、テレシンの最初の二つのバラックへと移った。テレシンはそのときから「汚れなき聖母の都市」(ポーランド語で「ニエポカラノフ」)と呼ばれた。
汚れなきおとめの美しい像はそこを訪れる人は誰でも皆歓迎するためにこの独自の都市の入り口にそびえていた。マキシミリアノはお互いにマリアの名前によって挨拶する習慣を紹介した。数年前、一つの全-マリア修道会の彼の夢-プロジェクトについて他の修道士に話したとき、彼はこう言った。「何という美しい共同体だ。それはそこで『マリア』がいたるところで聴かれる共同体である。『マリア』が挨拶であり、『マリア』が挨拶への応答である。彼女はマドンナ・ハウスの女性の主人であり、保護者である。」
http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe09.htm
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