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聖人伝 10月
1
:
カトリックの名無しさん
:2015/10/19(月) 03:34:49
聖人伝 10月
2
:
カトリックの名無しさん
:2015/10/19(月) 03:35:00
今日の聖人(10月19日)
聖イザーク・ジョーグ、聖ヨハネ・ブレブーフ司祭と同志殉教者
17世紀
聖イザーク・ジョーグ、聖ヨハネ・ブレブーフ司祭と同志殉教者は、1642年から1649年にかけて、カナダで殉教した8人のフランス人イエズス会士たちである。
1636年、イザーク・ジョーグ神父は「カナダの先住民族の人びとに、福音を知らせたい」と、ヨハネ・ブレブーフ神父、そして仲間といっしょにカナダのケベックに出発した。彼らは命の危険にさらされることも覚悟の上で、現地のイロコイ族、ヒューロン族の文化を尊重しつつ、彼らと生活をともにした。また、ヒューロン語を学んで、カテキズムや辞書を編纂するなどして、宣教した。
ヒューロン族はたびたびイロコイ族と戦い、ジョーグ神父はイロコイ族に捕らえられ、13ヶ月投獄された。彼は仲間たちとともに、村から村へと連れて行かれ、拷問を受けた。また、ヒューロン族の改宗者が拷問を受けて、殺害されるのを目の当たりにした。
その後、オランダからの思わぬ助けによって、ジョーグ神父は拷問の傷を受けた体で、フランスに帰国した。神父は人びとから英雄として迎えられたが、彼は「ヒューロン族のために働きたい」という夢を捨てきれず、数ヶ月後またカナダに旅立った。
しかしカナダでは部族間の争いが絶えず、8人のイエズス会士たちは、イロコイ族に捕らえられて、残酷な拷問の末に殉教した。彼らの証しはイロコイ族の人びとの心に刻み込まれ、こうしてキリスト教はカナダの地から消え去ることはなかった。そして、10年後にキリストの教えは人びとから受け入れられるようになった。
この8人の勇気ある宣教者たちは、1930年に教皇ピオ11世によって列聖され、教皇ピオ12世は、「カナダの保護聖人」と定めた。
3
:
カトリックの名無しさん
:2015/10/25(日) 04:39:44
今日の聖人(10月25日)
聖クリスピノと聖クリスピニアーノ
?-287年ごろ
クリスピノとクリスピニアーノ兄弟は、ローマの貴族の家に生まれ、熱心なキリスト信者であった。キリスト教迫害が始まったとき、全財産を捨ててゴール地方に逃げ、宣教師となり、日用の糧のためには靴職人として働いた。彼らは熱心に宣教し、多くの人がキリスト信者となった。しかし、ローマ皇帝マクシミリアヌスがその地を訪れたとき、クリスピノらに反対する者たちが彼らを訴えたため、2人は捕えられ、拷問にあった。そして2人が決して信仰を捨てないことが分かると、皇帝から斬首の刑を命じられ、殉教した。
彼らが特にイギリスで敬われるようになったのは、シェイクスピアの著書『ヘンリ5世』の影響によるといわれる。靴製造者、製皮業者の保護の聖人とされている。
4
:
カトリックの名無しさん
:2016/10/16(日) 00:57:59
明日の聖人(10月17日)
聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者
35年ごろ-110年
イグナチオは、シリアのアンチオケに生まれた。司教となったが、ローマ皇帝トラヤヌス帝のキリスト教迫害時代に死刑の宣告を受け、シリアからローマに護送された。その間に、7つの書簡を残した。5つは、途中寄港した町の信徒たちに、6番目は聖ポリカルポに、7番目はローマ教会にあてて書いたものである。その手紙から、彼が厚い信仰をもち、殉教によってキリストと一致することが最高の望みであったということなどが示されている。
その手紙で、町の教会は司教を中心としたものであり、ローマ教会は他の教会よりも特別な「教会の頭」としての役割をもっているなど、キリスト教会の組織やキリスト者の生活について、述べられている。
「あなたたちの体を神の神殿として保ちなさい。一致を愛し、分裂を避けなさい。
イエス・キリストが御父に従われたように、イエス・キリストに従いなさい。」
聖イグナチオ(アンチオケ)
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