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聖人伝 5月

1カトリックの名無しさん:2015/05/01(金) 03:06:42
今日の聖人(5月1日)
労働者聖ヨセフ

1052年-1132年

 ヨセフは、イエス・キリストの養父として、大工の仕事にいそしみながら、イエスとマリアを養った。彼は、労働は人間性を高める手段であることを教えてくれた。1955年に教皇ピオ12世は、この日を労働者の模範であるヨセフの保護のもとにおき、感謝の日と定めた。肉体的な労働にせよ、知的労働にせよ、わたしたちがどういう意向で働くかが大切である。

18カトリックの名無しさん:2015/05/31(日) 11:25:09
今日の聖人(5月31日)
聖母マリアの訪問

 聖母マリアのエリザベト訪問を記念する日。マリアが、天使から受胎告知を受けたころ、彼女の親族であるエリザベトも懐妊した。エリザベトは、長年子どもができず年老いていたので、マリアはエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美し、さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねる。マリアの訪問を喜んだエリザベトは「あなたは女の中で祝福された方です。……わたしの主のお母様がわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう……」と感動した。マリアは、神に感謝して祈った。この祈りが有名な「マニフィカト」である。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
  身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。……」
     (ルカ 1.46〜55)

 エリザベトを励まし手伝うマリアの行為は、神と隣人に対する愛の業である。

19カトリックの名無しさん:2015/05/31(日) 11:25:21
今日の聖人(5月31日)
聖母マリアの訪問

 聖母マリアのエリザベト訪問を記念する日。マリアが、天使から受胎告知を受けたころ、彼女の親族であるエリザベトも懐妊した。エリザベトは、長年子どもができず年老いていたので、マリアはエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美し、さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねる。マリアの訪問を喜んだエリザベトは「あなたは女の中で祝福された方です。……わたしの主のお母様がわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう……」と感動した。マリアは、神に感謝して祈った。この祈りが有名な「マニフィカト」である。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
  身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。……」
     (ルカ 1.46〜55)

 エリザベトを励まし手伝うマリアの行為は、神と隣人に対する愛の業である。

20カトリックの名無しさん:2016/05/05(木) 00:23:45
今日の聖人(5月5日)
アルルの聖ヒラリオ司教

400年-449年

 アルルの聖ヒラリオ司教は、フランスの貴族の家庭に生まれ、地方の役人として有望な職に就いていた。しかし、親戚であり、後に司教となったホノラトゥスのすすめで、共に修道生活をはじめた。ホノラトゥスがフランス南東部にあるアルルの司教に叙階されたとき、ヒラリオは補佐として選ばれ、彼自身も29歳のときに司教となった。

 彼は司教になってからも、修道者のように祈りと労働に励み、持ち物を売っては、貧しい人たちに施していた。才能に恵まれた、すぐれた説教家であり、質素な服装で、あらゆるところに歩いて旅をした。

 当時、南部のガリア地方(現在のフランス、ベルギーなどの一部にあたる)では、マルセイユのカッシアヌスの指導を受けた修道者を中心に半ペラギウス派が広がり、レランス修道院はその拠点であった。彼らは、神は善を求める人間の意志を助けるが、神ではなく、人間がはじめの第一歩をなすと考え、ヒラリオも半ペラギウス派であったと言われている。

 彼はガリア地方における裁治権を広げようと、フランス東部にあるブサンソンの司教をやめさせたが、教皇レオ1世によって取り消された。彼の残した著書『聖ホノラトゥス伝』には、ホノラトゥスの生涯と説教が描かれている。449年、49歳で亡くなった。


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