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東京都知事、石原慎太郎の石原家は武田の残党と
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1092292200
石原家[編集]
(愛媛県松山市・八幡浜市・大洲市、兵庫県神戸市須磨区、北海道小樽市、神奈川県逗子市、東京都)
家系
慎太郎によれば、「私も幼い頃家族しての神奈川県から愛媛、広島への大旅行で父や母の実家を初めて訪れた時に会った、まだ元気でいた父の母親と母の父親の記憶をこの旅で見た他の何よりも強い印象で覚えていますが、何故かそれはその後私が成長していってからの方がますます鮮やかで確かな記憶として心に刻まれてきたような気がする。そして父や母が亡くなった後、父や母への追憶に重ねてそれがますます懐かしく鮮やかに思い出されるようになりました。」という[215]。
石原家は潔 (慎太郎の父) の2代前の石原安太夫の時代に絶家となった (理由は不明) [47]。それを再興するため服部家から服部信義の二男の信直が石原家に入った[47]。石原家再興の当主となった1862年 (文久2年) 生まれの信直と、1867年 (慶応3年) 生まれの妻ササヨの間には、潔を含めて6人の子供が生まれた[47]。長男の石原克己、長女の壽万 (すま)、二男の石原静夫、三男の潔、二女の美壽 (みす)、四男の石原真砂 (まさご) の6人である[47]。信直の職業は警察官だった[47]。潔は愛媛県長浜町(現大洲市)に生まれ、幼少期は八幡浜や宇和島など、西宇和、南宇和地区ですごした[216]。
石原本家の菩提寺は八幡浜市保内町の龍潭(りょうたん)寺である[47]。
佐野との対談の中で慎太郎は「うちの本家はそもそも石原ではなく服部なんです。そんな大家でもないけれど、元は、落魄 (らくはく) [217]した士族です。先祖は武田の残党でそれが松山に流れて服部姓を名乗った。弓の名人だったらしく、戦 (いくさ) で七人殺したか、まあ七十人は殺さなかったでしょうが (笑)、それで七つ矢車の家紋を許された。歴代、服部勘助を名乗った服部本家の血筋をひいている親父の親父が石原家に入って、それ以来石原姓を名乗った。」と述べている[47]。
AERA誌のインタビューのとき、ノンフィクション作家の吉田司に慎太郎は「うちは士族の出でね[218]。カッコいいんだ[218]。武田の武士でね、弓矢の名人でね、家紋が7つ矢の矢車なんですよ[218]。武田軍団って、戦強かったでしょ[218]。うちの家訓はね、『明日の戦、わが身無念と心得べし』ってんですよ[218]。つまり死ぬだろうと……[218]。だから俺の親父もわりと覚悟して、毎晩接待で酒飲み続けて、仕事で死んでいった[218]。『今宵の宴、わが身無念と心得べし』じゃないけどね (笑) [218]」と述べている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E#.E7.B3.BB.E8.AD.9C
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