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作業4

5ねこ:2016/05/08(日) 20:19:47
ラザフォード・オールコック

日本開国後の初代駐日総領事に着任[編集]
1858年、エルギン伯爵ジェイムズ・ブルースが訪日して日英修好通商条約が締結され、翌1859年7月1日(安政6年6月2日)をもって長崎、神奈川、箱館の3港が開港することが約束された。オールコックは極東在勤のベテランとしての手腕を買われ、1859年3月1日付けで初代駐日総領事に任命された[3]。5月3日にこの命令を香港で受け取ると、5月16日には香港を立ち、上海[4]経由で6月4日(5月3日)に長崎に到着した。日英修好通商条約の批准書交換を7月1日(6月2日)以前に行うように命令されていたため、長崎を6月20日(5月20日)に出発し、6月26日(5月26日)に品川沖に到着し、高輪の東禅寺に入った。
オールコックは、7月1日(6月2日)に開港予定地である神奈川の視察に赴き、7月6日(6月7日)、オールコックは東禅寺に暫定のイギリス総領事館を開き[5]、軍馬売却を幕府に要請するなどした。幕府側はオールコックらの到着を事前に知らされていなかったが、交渉は順調に進み、7月11日(6月12日)に一行は江戸城に登城、批准書の交換が行われた。なお、神奈川を視察した際に、対岸の横浜に居留地が建ち、そこが実際の開港地[6]であることを知らされる。オールコックは実利的な面からは横浜が有利と認めながらも、条約遵守を要求し、結局領事館を神奈川の浄瀧寺に設置することで妥協した[7]。
1859年9月から10月にかけて、もう一つの開港地である函館へ旅行。12月23日(安政6年11月30日)、特命全権公使に昇格。また1860年9月11日(万延元年7月27日)には富士山村山口登山道を用いて富士山への登山を行ったが(途中村山三坊に宿泊)、この登頂は記録の残る中では外国人として初めてのことであった[8][9]。その帰路、熱海に旅行。このときの記念碑が市内の湯汲坂に現存している[10]。
彼は日本の農村の様子について、こう書き残している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF




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