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西郷隆盛
21
:
ねこ
:2016/05/09(月) 16:49:35
業忠(平業忠)は、「なんということか、木曽(義仲)がまた戻って来ました」と申すと、院中の公卿殿上人([三位以上の者。四・五位で殿上を許された者])、傍に仕える女房たちにいたるまで、今度こそ世の終わりだと言って、手を握り合い、神仏に祈願するばかりでした。業忠が重ねて奏聞するには、「今日初めて都に入る東国の武士と思われます。あの者たちの笠標([戦場で敵味方を見分けるために、兜などにつけた印])が木曽軍とは異なっております」と言い終わらないうちに、大将軍九郎御曹司義経(源義経)が、門前で馬から下り、門を叩き、大声を上げて、「鎌倉の前兵衛佐頼朝(源頼朝)の弟、九郎義経が、宇治の軍を攻め破って、御所を守護するために急ぎ参りました。門を開けてくださいますよう」と申すと、業忠はあまりのうれしさに、急いで築垣([土塀])上より飛び降りたので、腰を着き損じましたが、痛さはうれしさのあまり感じず、這うようにして御所に参り、これを奏聞すると、法皇(後白河院)はたいそうよろこんで、門を開けて義経たちを院中に入れました。
http://santalab.exblog.jp/19974795
平 業忠(たいら の なりただ、永暦元年(1160年) - 建暦2年8月16日
(1212年9月12日)
)は平安時代末期から鎌倉時代初期の院近臣。成忠とも表記される。大膳大夫・平信業の子。母は藤原基隆または藤原家範の娘。官位は正四位下・大膳大夫。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%A5%AD%E5%BF%A0
1872年10月14日(旧暦9月12日) - ◆鉄道の日。新橋・横浜間で日本初の鉄道が開通。
http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/d/09/0912.html
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