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俺が統合失調症を発症した時より、亡き母に教えていただいた話をする
1
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 00:12:14 ID:r.hygQjk0
私はこの掲示板で妻と出会い、
実際に会う友人たち、電話で語り合う友人たちと出会いました。
癌で闘病していた亡き母は、
統合失調症と言う難解な病気を患った私を救ってくれました。
しかし、私は母を助ける事ができませんでした。
私は霊に類する現象を信じていませんでした。
しかし、亡き母のご遺体を妻と共に守った2日間、
お通夜、葬儀、そして今も妻や父と共に、
数多くの説明ができない出来事を体験し、
自分の考え方が間違っていた事を知りました。
こちらの掲示板への自分勝手な恩返しとして、
このスレッドは、私の体験を語らせて頂く最後の場所とさせて頂きます。
なぜ、私が唯物的な考え方を持つに至ったのか。
亡き母は何を教えて下さったのか。
そして、妄想として書く事がはばかられた体験内容
ご遺体を守っていた時、思い出す事ができない誰かから教えて頂いた事。
すべてを包み隠さず書かせて頂きたく思っています。
2
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 00:27:35 ID:r.hygQjk0
最初に、私は「悟り」の境地に達した等と、
おこがましい事を語る気はありません。
しかし、今の私は完全に「死の恐怖」から解放され、
亡き母と、私自身の「命の答え」と表現しても過言ではないものを教えて頂きました。
これからの私は、様々な恐怖から「逃れる」のではなく、その正体を見出し、
その恐怖を認める努力を続けて行きたい思いです。
私は『「悟り」などと言うものは無い』と書いた事があります。
しかし、それは誤りでした。
悟りとは、輪廻から脱する、何らかの超越性を持つ等、
月並みな言い方ですが、超常の力を得るものではありません。
それは、深い深い「気付き」です。
それを体験したなら、すべての人々を救いたい、などと一時は思うかも知れません。
しかし、その先にこそ、最も重要なものがありました。
ここからは、私がなぜ「唯物的な考え方を持ったのか」という事、
私が生まれ持った、これまで毛嫌いし、遠ざかろうとしたいた個性について、
書かせて頂きます。
今は、この個性を母に産んで頂き、与えて頂いたお陰で、
母に、最期に母の姉に会って頂く事ができた、
人生の宝物と感じています。
3
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 00:52:46 ID:r.hygQjk0
私は、一般的な表現として、幼稚園ーの頃から、
次の2つの個性を持っていました。
1.霊が見えてしまう
2.予知をしてしまう
最初に霊を見た記憶は、幼稚園の年少の時、
滑り台の上に座る、滲んだような色と、崩れたような輪郭を持つ、
男の子の姿を見た時のものです。
皆が無視するその男の子は、
おそらく帽子を被り、白い半ズボン、青いシャツを着ていました。
その顔は目や鼻、口が黒く滲み、幼い私も「自分たちとは異なる」事を感じました。
私はこの「人に見えないもの」が見える事に苦しみました。
父に話しても信じてもらえず激しい叱咤と、ゲンコツをもらうだけ。
しかし、母は、そうした存在が見える事を否定しませんでした。
友達に話すと気持ちが悪いと言われ、イジメを受けた事もありました。
中学生の頃になると、私は次のように思うようになりました。
自分は病気で、実際には存在しないものが見えるのだ。
霊など存在しない、この世界は物質で作られ、物質こそが真実なのだ。
私は霊を否定し、これに類する現象のすべてを否定し、
見える苦しみ、感じる苦しみ、イジメられる苦しみから逃れるようにしよう。
4
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 00:53:32 ID:r.hygQjk0
予知は、私は3つの種類があると考えています。
これらの共通項は「既に起きているか、前兆があり、確定しているもの」であり、
予知をした所で、これを現実世界から消し去る事ができない、と言うものです。
1.目をつぶっていると見える映像や光景
2.夢
3.予知ができると仕事上、主張しなくてはならない状況
私は母の癌が肝臓に転移しているか、強く知りたいと願った時、
映像として、実家の玄関から3回のフラッシュを見ました。
そして、夢として、どこかの和室で、ネズミが3匹逃げて行くものを見たのです。
「3」と言う数は、母の肝臓に転移した癌の病巣の数でした。
あるいは、母が亡くなる3日前、悲しそうに顔をしかめた母が、
ゆっくりと上昇して行く映像を見ました。
この翌日、母は痛みを止めるために、モルヒネを用い、
痛みを止める代わりに、寿命を終える事を選択しました。
これを誰かに話しても「不吉な事を言うな」と叱責されます。
そして、実際に起こると「お前が不吉な事を言ったからだ、この死に神め」と、
気味悪がれ、嫌悪感を持たれるだけでした。
予知ができる事を「特別な能力」と思う事は誤りです。
確定した未来を見る事は、希望を奪い、苦しみを生み、絶望だけが残るだけです。
未来が見えても、何も変えられず、誰も救えないのです。
私は中学生の頃、霊が見えると言う個性と共に、
次のように思うようになりました。
予知も、ただの関係妄想であり思い込みである。
映像や光景が見えるのも、ただの病気でしかない。
夢には意味はなく、あるとしても予知夢など存在しない。
これらは、ただの心象風景、そこに意味や価値等は一切ないのだ。
5
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 01:12:31 ID:r.hygQjk0
私は今も心霊動画や、怪談のすべてを信じていません。
霊とはおどろおどろしく見えるものではありません。
けれども、私を救ってくれた母の霊は、やはり色と、人とは異なる輪郭を持っていました。
言い方が悪いのですが、肉体が滅んだ方が姿を見せる時、
その姿が私たちに見える限界なのかも知れません。
色と、曖昧な輪郭によって見える方々を、私は「魂」と呼びます。
肉体が滅んでも、形を失っていない状態の意味です。
一方、妻は「自分は霊が見えない」と言いますが、
私が知らない「父の顔に似ていて、茶色い上着を着たご年配」や、
白地に黒い線が入ったジャンバーを着た男性、
おそらく、母が飼っていたであろう猫。
そして、私が見送った猫の姿を見ました。
これらの情報を妻は知らないにも関わらず、
妻が見た人物の特徴に、私と父は驚きました。
父の顔に似たご年配は、おそらく父方の祖父です。
白地に黒い線が入ったジャンバーは、母方の祖父が愛用していた服でした。
そして、私や父すら知らない情報である「母が飼っていた猫」の特徴を聞き、
母の姉も心底驚いていました。
妻が見たものは、母のために集まって下さった祖霊、ペットたちの霊である事は明らかです。
私には見えませんでしたが、その後、強く後悔があった、過去に飼っていた猫の姿を、
私も確かに見させて頂く事ができました。
私の過去の飼い猫は、私の後悔に反して、
私の事をずっと守って下さっていた事を強く感じ、
私は18年間の悲しみが誤りだった事を知ったのでした。
妻が見た方々を、私は「霊」と呼びます。
魂としての形から解き放たれた状態の意味です。
6
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 01:28:40 ID:r.hygQjk0
私は母の「魂」を見た時、
玉の鈴を転がすような音楽のような音と共に、
曖昧に母の声色を耳で聞きました。
そして、心にすっと射し込まれるようにして、
その曖昧な言葉よりも明確な言葉を、心そのもので聞きました。
亡き母は、玄関の錠が閉まっていないと、必ず閉めてくれていました。
実家の錠は引き戸用で、上にスライドすると開き、下にスライドすると閉じる仕組みです。
これは、それなりの力を込めないと、スライドできるものではありません。
その錠を、父が閉め忘れたのですが、それがガシャンと下にスライドする音を私は聞きました。
さらに、亡き母は靴が揃って脱がれていないと、それを揃えてくれていました。
私は目の前で、靴が勝手に揃えられるのを見たのです。
これらの体験は、私に「霊の実在」を信じさせるには十分過ぎるものでした。
そして、ただ単に苦しみから逃れるためだけに、霊が見える個性を否定した自分を恥じました。
そして、統合失調症を発症する前に知った「物質よりも根本的な、本来の姿」について、
ただの妄想だと片付けてしまっていたものを、深く考えなくてはならないと考えたのです。
7
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 01:52:16 ID:r.hygQjk0
私が統合失調症である事は否定すべきではない事実です。
知機能障害、陽性・陰性症状、その回復の過程を主治医と共有し、
今はオランザピン錠を2.5mg処方して頂いていますが、
今後は、さらに少ない量を(粉薬と聞きましたが、錠剤ではない形で)処方して頂く予定です。
正しく治療し、正しく病識を持ち、
おそらくですが、脳の前頭葉の機能が側頭葉近くの部位に移る事で、
統合失調症は回復する病気だと思っています。
統合失調症とは、認知機能が害され、
情報を正しく脳の記憶の引き出しにしまう事が出来なくなる病気だと感じています。
おそらく、記憶も認知に再取り込みされ、
誤った引き出しにしまわれてしまう事で、
長く治療もせずに放置すると、
「誤った記憶」の再整理が難しくなってしまうのでしょう。
私はこの病気から回復した後、
なぜか理論的思考が強まり、計算が極端に得意になりました。
病気になった事、母の死は絶対に喜ぶべきものではありません。
しかし、私は統合失調症となった事で、妻と出会い、
亡き母の死に際し「恐怖なき悲しみ」に触れ、自分を認める事ができるようになりました。
もし、統合失調症に苦しんでいる方、そのご家族がおられるなら、
この病気の事を罹患者自身が詳しく、主治医以上に深く理解するつもりで学ばれ、
正しい病識を道具として用いる事で時間をかけても回復できる病気なのだと、
希望を持って頂きたいと考えています。
8
:
不思議な名無しさん
:2021/04/02(金) 21:35:01 ID:???0
たこ助さんが最初のスレを立てられた時から読んでます。
またたこ助さんのお話が聞けて嬉しいです。
9
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:39:00 ID:r.hygQjk0
>>8
私はこれまで自分の体験から、自分が思った事だけを語っていました。
真には、人の話を聞かなかったのです。
そんな私に、このような言葉をかけて下さり、心からあなたの幸せを願います。
ありがとうございます。
これは最後のスレッドです、私の辿り着く答え、それは命の答えです。
どうか、最後までお付き合い頂けましたら幸いです。
10
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:40:14 ID:r.hygQjk0
母の遺体はお通夜の都合、2日間ほど自宅に安置する事になりました。
また、お通夜を含めて3日間、私は妻と共に遺体を守るため夜通しのお線香焚きを行ったのですが、
この時、私はとても丁寧で分かり易く、誰かから教えてもらった事があります。
それが誰だったのか、性別や年齢、声や話し方すら、どうしても思い出す事ができませんが、
私はその方に、以下に挙げる事を教えて頂きました。
1.人は肉体が滅ぶと「死の深い眠り」に陥る
2.肉体と魂は、しばらくは共にあり、日本では火葬の時に出棺された時、肉体から離れる
3.魂を「死の深い眠り」から目覚めさせるのは、先祖霊、大切にしていた人物や動物たちの役割
4.目覚めた後、50日ほどで形への執着が消え「真の霊」となる
5.霊は「偉大な法則」へと戻るが、自らの意思、類する霊の意思で、故人として現れる事も自由にできる
6.魂と霊を正しく受け取る、正しい心の器を持つ
7.宗教は文化として共有されているが、その本質は宗教に限らず、すべてで変わらない
8.輪廻はあり、形への執着を離れられない魂、世界への執着が消えた霊が希望するなら輪廻する
9.はじめに概念があり、形が生まれ、形を失い概念へと戻る「偉大な法則」による「素晴らしい循環」がある
10.「素晴らしい循環」の中で、人の心が霊としての意思を持つ概念を生み出した
11.「恐怖」は「認めない心」であり、これは嘆き、怒り、拒絶を生む
12.「認める心」は「恐怖以外」であり、これは感謝、喜び、安堵を生む
13.霊の有無は「かも知れない」で良く、「正しく受け取る」と見えなくとも分かり、「正しく受け取らない」と見えても理解しない
14.「恐怖」と「恐怖以外」を正しく利用し、幸せの願いに基づき、自分の世界を拡げつつ守る
これらは、深く腑に落ちるものでした。
そして、私は今までの自らの愚かさを恥じました。
これまで、私は自分の体験を正しく受け取ろうとせず、
また、自らが生まれながらにして理解するチャンスを与えて頂いていたにも関わらず、
「自分を認め、相手も認める」「自分の世界を真の意味で守る」と言う事から、
目を背け続けていたのです。
11
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:40:55 ID:r.hygQjk0
お通夜の時、実家で飼っている猫2匹は、決して母の遺体が安置されている仏間に入ろうとしませんでした。
私が抱きかかえて連れて来ると、ぶるぶると震えながら明らかに恐怖していました。
おそらく「あー猫だ!」と祖霊の方々が集まったのかも知れません。
猫には申し訳ない事をしたと反省し、その後、チュールとモンプチをプレゼントしています。
(その後、モンプチしか食べなくなりました)
また、仏間の隣にある部屋にはベッドがあり、そこで仮眠を取ろうとした時、
私は女性の声を確かに聞きました。
それは、とても懐かしく、私が小学校1年の時に亡くなられた、母方の祖母であったと感じています。
母は学生の頃、キリスト教系の一貫校に通学しており、
ルルドと呼ばれる祈りの場で、亡くなられた方と対話した事。
亡くなられてからも未練がある方は、顔が見える事。
そして、私も見ましたが、庭の上空を飛ぶ眩しくない強い光を見た事もありました。
今にして考えると、私に与えて頂いた「魂が見える」と言う個性は、
母譲りのものであったのです。
母は正しく亡くなられた方々からのメッセージを受け取っていました。
しかし、私は正しく受け取る器を育てず、今になって慌てている始末です。
これほど、私のこれまでの常識を覆すような出来事が起こり、
今も続いている、不思議で温かいお見送りを、私は知りません。
母らしい、母だからこそのお見送りとも言えるのでしょう。
12
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:41:20 ID:r.hygQjk0
そもそも、霊が見えるかどうかなど、あまり関係がないのでしょう。
肉体を持つ方々、形を持つ方々、形から離れた方々、すべてのメッセージを正しく受け取る器、
これを持ち、正しく用いる事ができるなら、それが答えなのです。
私は花が好きだった母に、桜を見せたいと思い、親しい花屋さんに電話をしました。
その時、花屋さんは「冗談のような話ですが」と語りました。
実は花屋さんの目の前でイベントがあり、
そこに桜の枝を大量に納品したのだと言うのです。
さらには、それは置いておくから、好きに持って行って頂いて構わないとも言って下さいました。
私は花屋さんのご好意を頂き、仏間に桜の木の枝を今も飾っています。
二人して「不思議な事もあるものだ」と笑いながら、
「しかし、これも何かのご縁なのでしょうね」と話し、二人で深く納得したのでした。
私はこの不思議なご縁が、亡き母のメッセージであるのだと考えています。
自ら大切な人の事を思い、思いやりによって行動し、ご縁を結び、ご好意を素直に受け取る。
私は人生で初めて、「正しく受け取る」と言う事ができたと思っています。
かつての私であれば「偶然だな」としか思わなかったでしょう。
けれども、私はそこに確かに亡き母の存在を確かに感じました。
「かも知れない」で良いのです、そういうものであるのでしょう。
13
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:41:56 ID:r.hygQjk0
私は今回の体験によって「私は目覚めたのだ!」とか「教祖になるぞ!」と、
そんな事は決して言えません。
これらは本当に下らない、取るに足らないものです。
そんな事よりも、私は「魂」や「霊」を正しく受け取る事で、
これを科学化できると確信しています。
私はこれまで唯物的思想ばかりを重要視し、霊を錯覚や心理的なものと片づけ、
科学の本質からかけ離れていました。
唯物論も物質世界を考える上で重要なものです。
しかし、私は「唯心論」は無いと考えています。
唯心論は「心があり、物がある」と考えますが、心とは何とも捉えどころのない曖昧なものです。
私は勝手に「唯有」と名付け、物と概念が組み合わさる事で「有」が作られていると考えています。
私は統合失調症を発症した時「概念的なものが、物質を変化させる事もある」と言う、
当時はまったく信じるに値しない「知」を体験しました。
今考えると、極論過ぎてはならないものの、
概念と物質は結び付き、初めて「有」となる事は、ごく当たり前の事に思えます。
おそらく物質よりも「概念」が先にあり、私たちが知る「この瞬間」よりも、少しだけ未来を作っているのです。
これは奇妙な事です、概念が先にあるのなら、この世界は決定論的であり、
確率や混沌は存在できない事になります。
けれども、もし「こうなる」と言う確定した未来があるとして、
そこに辿り着く過程が、確率論的であったなら、そこに確率や混沌が存在できます。
そして、その確定した未来も、その過程である程度変化するとしたら、
それは自由意志に他ならないのではないでしょうか。
14
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:42:26 ID:r.hygQjk0
これは、理論的思考と直感的思考と似ています。
私は極端な理論的思考の持ち主で、常に「どこに辿り着くか」を意識しています。
そのために生じる出来事は、その目的に辿り着くための道具であり、
結果、常識とかけ離れた手段や方法を、その過程で行う事もあるのでしょう。
感覚的思考は、私にとっては扱いづらく今まで触れようとして来ませんでした。
これは、目的よりも、発生した出来事に対して都度対応し、目的へ辿り着きます。
結果、手段と方法は常識的ですが、丁寧で過程に至った心を大切にするのです。
どちらが優れている、と言う事はありません。
理論的思考の持ち主は確かに少ないでしょうから、それ故に「天才的」と誤解されます。
感覚的思考の持ち主はとても人間らしく、優しく、温かで、豊かな感情を持っています。
目的を意識して行動する「理論的思考」は、未来が確定しています。
その過程は独創的ですが、目的達成と言う意味において決定論的と言えるでしょう。
一方、その時々の出来事を大切に行動する「感覚的思考」は、それほど未来が確定していません。
その過程は面白みがないとも感じるかも知れませんが、それを積み重ねるため、非決定論的、不確定論的とも言えます。
仕事の上では理論的思考は有用ですが、生活の上では感覚的思考が有用です。
そして、往々にして、これらは相容れないものとして扱われがちです。
私は理論的思考と感覚的思考を融合させる事こそが、非常に大切であると知りました。
正直、これまでの私はロボットのようで、機械的な冷たさがありました。
しかし、亡くなられた方に思いは届くのだと知り、それに深く納得した時、
このままでは、自分はただの「法則の一部」になってしまう、と感じたのです。
15
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:43:00 ID:r.hygQjk0
概念は概念としか相互作用しません。
既知の物理学で物質と概念を結び付ける現象は、
おそらく量子力学における不確定性原理や、確率です。
ある実験で、人々の興奮する感情が、
ランダム値を出力する機械の確率を変化させる可能性が示されました。
これはあたかも人間原理的で、人の意思がある、故に宇宙がある、と誤解してしまいそうになります。
けれども、人の意思ではなく、霊を構成する「概念」が相互作用したとしたなら、
これは別に不思議な事ではありません。
確率を私は「高い次元からの光源」であると例えた事があります。
こんな言葉には何の意味もありませんでした。
確率とは、「ある程度確定した未来に向かう過程、そこにある混沌」の一部です。
概念が変化し、そこに物質が流れ込むイメージです。
力場のない場所に生じる力も、「概念」を考えれば、不思議ではありません。
そこに何も力場がなくとも、物理法則は天文学的に低い確率で生じる稀な現象すら繰り出して、
辻褄を合わせようとします。
念動力が実在するか、と言われると私はさすがに唸ってしまいますが、
しかし、この考え方に基づけば、有り得るでしょう。
肉体を持っていても概念を持ち、その概念を扱える個性があるなら、
物理現象が後は辻褄を合わせてくれるのです。
16
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:43:23 ID:r.hygQjk0
これは、言い方を変えると「物質はただの影」と言う事になります。
ただ、これはちょっと言い過ぎかも知れません。
ですので、私は次のように考えたいです。
「物質の他に概念があり、そこに隠されていたパズルのピースが待っている」
私は物理学は既に万物を説明していると思っています。
重力を私はエントロピーの乱雑さだと思っていますが、
これは概念が生み出す作用なのかも知れません。
概念に保存できる情報も、私たちが考えるより、さらに多様でしょう。
植物の光合成が量子作用を利用しているのと同じように、
私たちの脳も「概念」の作用を利用していても不思議ではありません。
これは『脳のどこに「私」はいるのか』と言う問いに帰結します。
脳機能全体が「私」を生み出しているのか。
それとも、脳の特定の部位に「私」が存在するのか。
統合失調症を罹患した時、私は脳の活動をはっきりと感じた事がありました。
外部からの入力情報と、脳に保存された記憶、これらを「認知機能」が受け取り、整理し、
それによって、行動へと結びつく思考が生まれるのであれば、
これは、倉庫を管理するロボットとあまり変わらないように思えました。
17
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:43:54 ID:r.hygQjk0
しかし、脳に無い「私」をどのように概念へと保存しているのか。
それは私にも分かりませんが、想像する事はできます。
物質とは根本的に異なるものであり、そもそも地球人類だけで共有するものではなく、
真空の相転移前の宇宙から、生命全体によって絶え間なく進化してきたものである。
または、情報の保存などと言う考え方自体が物質的であり、
元々、概念とは知性的であり、脳が保存した記憶が概念上で相互作用し、
肉体と共に霊も成長していく。
見えない変数や自然原理による働きは、日常生活では想定しなくても良いものです。
けれども、この「日常」は現在と100年前ではまったく異なるものでした。
2021年から見た時の100年前、
1921年と言えばアインシュタイン博士がノーベル物理学賞を受賞した年です。
当時、一般相対性理論など検証はできないだろうと思われていましたが、
今では重力レンズ、重力波が検出され、理論の正しさが証明されています。
私は生涯、亡き母が教えて下さった多くの事、
そこから理解した「魂と霊の実在」に対して、決して考えが揺らぐ事はないでしょう。
私の日常は、母がいない未来、母が与えてくれた未来、
死への恐怖の消滅、根源的な恐怖の自覚、
これらの体験で、死生観、人生観のすべてが変化しました。
母の死に嘆き悲しむ事はなく、
私は自分が冷酷なのではないかと疑った事があります。
しかし、「恐怖なき悲しみ」を感じており、それはすべての感情を超越するものでした。
それは、深い深い感謝、母の幸せへの願い、ご先祖様や亡きペットたちが母を導いて下さる安堵感。
自分と、自分の大切な人と言う狭い世界しか守れない自分を認める事。
母が教えてくれた「博愛」の真の意味を正しく受け取り、
人に必要以上に気を遣う事なく、怒りや不機嫌と言う「恐怖」を武器とする人々から遠ざかり、
大切に思う人々を増やして行く人生とするために、研鑽を重ねて行きたいと思います。
18
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2021/04/02(金) 22:44:29 ID:r.hygQjk0
ところで、「概念」が科学の一部となったとすれば、これは夢がある話です。
例えば、光速度の定数Cを超える速度は、現在のところ知られていませんが、
仮に「概念」を扱う技術が確立したなら、移動速度に頼る必要はなくなります。
概念は目的を生み出すのですから、少しだけ未来に干渉する事ができます。
過去には戻る事はできませんが、少しだけ未来に進みながら、
概念を書き換え、結果として物理法則を書き換えつつ、
移動ならざる「コンタクト」ができるようになります。
長大な距離を瞬時とは行かないまでも、
光速度の定数Cの理論限界値を超える事ができるでしょう。
もし、空間の相転移により、現存宇宙が終わる時が来たなら、
自らを概念へと変化させ、次の宇宙へと引き継がせる事も可能かも知れません。
形のない世界であるため、知性を持つ概念にとって想像こそがすべての成り立ちですから、
ここに永久的な文明の次のものを作り上げる事も可能に思えます。
その時、科学と先祖への感謝は真に融合し、
ついには「科学の向こう側」への道が拓かれるのかも知れません。
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