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連投規制で書けなくなった人あつまれー ★10

1名無しさん:2014/12/22(月) 23:19:29
前スレ
連投規制で書けなくなった人あつまれー ★9
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1414916254/

830まぐな:2015/01/26(月) 19:51:41
>>825
皮肉っすねえ。

831"私":2015/01/26(月) 20:21:53
もうマジダメだ寝ようと思って、床で寝たら絶対乾燥して風邪を引くという理性に従って粛々と眠る準備をしていたらお腹が空いている自覚が来たのでお弁当を食べたなう。
眠気とずっと格闘してたのでもう夜10時くらいのイメージ。

夜の12時って書いて先生に笑われたような気がする(正確には午後の0時などだったかもしれないけど)のを思い出すなう。

832まぐな:2015/01/26(月) 20:23:31
>>831
コンビニ弁当か。最近よく食ってる。

833名無しさん:2015/01/26(月) 20:28:17
>>828
他者の悦はファルス悦の補完でもあるからなー
a-a'に不具合のある人は他者の悦とファルス悦の区別はつかない
アスペなどはそうであろう
たとえばマグナの四肢切断話など、自分は加害者か被害者かどっちとも言えない状態であったろうさ

834"私":2015/01/26(月) 20:44:10
>>833
あ、それなんかわかる気がするな。
(加害者か被害者かわからない)

他者の悦がわからないのでプリンターを買おう。←つながりが。

835名無しさん:2015/01/26(月) 20:45:06
これか

2 フィクションの「運動」?読み手が反応するのは物語ではなく記述である: フィクションの表面をなすのは記述の運動(記述が対象を語り、
状況とその変遷を語ることで動いていくこと)である。苦難の浄化(パトスのカタルシス)は物語からでなく、記述の運動からくる。

フィクションをフィクションだと知ることが「カタルシス」なのでサトアキのカタルシスはわたしの言っている意味とは異なるな
むしろサトアキはカタルシスをフィクションに閉じ込めている

カタルシスとは、フィクションとリアルの離接点だ

836"私":2015/01/26(月) 20:45:18
フリースブランケットで体温上げすぎると眠くなる気がする。電気と静電気、てきななにか。

837名無しさん:2015/01/26(月) 20:45:42
>>834
他者の悦=ファルス悦を喜ぶ悦

838名無しさん:2015/01/26(月) 20:47:32
記述が対象を語ってもないし、状況とその変遷を語ることで動いてなんかもいない
それは妄想よ 想像よ
いつまで夢見てるつもりなのロマンス

839名無しさん:2015/01/26(月) 20:48:56
記述は対象を語ってなんかおらず、状況とその変遷を語ることで動いているのは妄想でしかない

ということに気がつくのがカタルシス
(主観)世界の破滅

840"私":2015/01/26(月) 20:50:47
>>835
ネタバレになるけど、先述の本のほうの話は人殺しの母親に会いに行った主人公がマリーム?みたいなクッキー割った瞬間に本当の記憶を思い出すんだよなー。
でもなんで私の中で「ローマへの道」と「カタルシス」が混ざってるんだろ。
「カタルシス」はなんか日本人の過干渉母ちゃんの顔が最初のほうはあんたのためにーとか言ってるんだけど突然般若みたいになる話だったっけか。うーん、自信がない。
たぶん対母親っていう分類になっていたり、読む時期が近かったのではと思うが。

841名無しさん:2015/01/26(月) 20:52:17
ちなみにサトアキはサトアキが思っているカタルシスを批判しているわけでもなさそうだが
カタルシスは物語ではなく記述によってなされるものだ、ということではないだろうか
彼女の言う物語と記述の違いがわからないのでそれについてはわたしはなんとも言えないが

なんつかね
サトアキの話って説明が下手な演出家なんだよな
彼女が演出したらスタッフは好き勝手やるだろうな、的な
それを演出家のサトアキが怒り狂うって構図が見えてしまった

演出家ってねー
自分の考えた意味だけでしゃべってたら仕事になんないんだわー
そういう意味では自分の考えた意味だけで世界が作れる小説家はいいね

842"私":2015/01/26(月) 20:52:38
>>823
ttp://homepage2.nifty.com/waterways/oquba/notes/oquba292.html

この前者と後者が混在していることを自分で裁いているわけだよな。

843"私":2015/01/26(月) 20:54:07
眠気とだるさと風呂の綱引きに負けそうなのでいったん落ちてやることすませてくるあ。

844"私":2015/01/26(月) 20:56:49
>>840
本当は俺のための母ちゃんを思い出すよりは母ちゃんが般若顔ーのほうが確かにカタルシスなのかもなーとは思うけど、話を間違えてたら話にならないから作品集のある図書館を探すかのう。
思い出した記憶っていうのも、その時の「理解」つまり判断とか誤解でしかないとも言えて、それもまた違う物語、ではあるからな。

845名無しさん:2015/01/26(月) 20:58:32
「存在そのもの」というのが物自体的だが
なんつのかなー
そこはわたしは仏教の空で納得してるなー
すべては空である=存在そのものなど存在しない
空から解脱しようとすること=存在そのものなど存在しない世界から抜け出すこと≠存在そのものに近づくこと

846"私":2015/01/26(月) 20:58:34
私のフラバとか画像記憶とか聴覚というか言葉の記憶なんかは、事実で証明できることは多いが、それが私にとってどう作用するように変わったかは私の今の物語だからな。

847名無しさん:2015/01/26(月) 20:59:08
逃げたいだけなんですよややこしく言ってるけど

848名無しさん:2015/01/26(月) 21:03:09
>存在そのものなど存在しない世界から抜け出すこと≠存在そのものに近づくこと

ここの折りたたみがa-a'だったりするのかもな、と
存在そのものなど存在しない世界(わたしたちが思っている日常、現実)から逃げ出したいだけで、それは存在そのものに近づくことではない
現実逃避ならぬ仮象からの逃避の言い訳としてしか実存など存在しない

その言い訳としてあるその感覚(たとえばトラウマの回帰)こそが、客観的な一般的な意味での現実ではない主観的な現実感の根拠ではあるが

849名無しさん:2015/01/26(月) 21:06:45
だから、トラウマが回帰することは、病んでいることではあるが、ラカン的な意味ではない現実の根拠を見定めるという意味では、正常化なんだよな
トラウマものが流行ることへの危機感は、病んでいる証拠であるトラウマを持つことが実は正常になろうとすること、いわばツンデレ的なことだとばれるから
であったりする、わたしは

850名無しさん:2015/01/26(月) 21:07:32
前性器的リビドーからペニス妬みへの発達、小笠原さんの言葉なら分析家の言説からヒステリーの言説への以降が、トラウマの形成だと

851"私":2015/01/26(月) 21:07:33
>>845
うん、
理解してるとは言えないが、
認識が変わった時に(存在そのものなど存在しない世界から脱することがあるとしたらその時)にはこちらの存在様式も意識も認識も変わらないことはないと思うのでなんとなく、
中性子線浴びるようなイメージがあるけど。
解脱→救い→なんか楽や幸せ、だと思えない。地獄っぽいんじゃないかと思うのなー。
でもこれは特に昔から持ってたイメージじゃないな。

ミニハンの言葉読んだり瀧口さんの書く物という言葉に近づいていくに連れて殺伐として行くように感じるようになった。

存在そのものが存在しない世界という表現は、少しずつそちら側にぐるりとまわって見てみて腑に落ちてきていて、
ただ腑に落ちるものでもない気はする。

ノシ

852名無しさん:2015/01/26(月) 21:09:19
移行っすた

で、前性器的リビドーってのは、リビドーからすれば、網からこぼれる水みたいなもんなんだよ
網から逃げる様態なわけだ

だから、「現実(もちろんラカン的な意味ではない)逃避」こそがリビドーではない前性器的リビドーの様態だとなる

853"私":2015/01/26(月) 21:09:27
>>848
>>849
ふむ。

>>850
ふむ。

明日か帰ってきたら考える。

854名無しさん:2015/01/26(月) 21:18:01
「ある」と「ない」という認識の仕方自体が、前性器的リビドーではないリビドー様態なのだな
だから、前性器的リビドー、前オイディプスであるならば、すべてのものがあるとも言えないしないとも言えない

ああでも前オイディプスはヒステリー含むか

855名無しさん:2015/01/26(月) 21:22:58
男性原理じゃないが男性原理的なものの裏返しではある
男性原理とは人における妄想の偏りみたいなものと思えば良い
妄想=空から解脱することとは空をよく知ることでもあるため、妄想の偏りすなわち男性原理も知っておかなければならない
自分の身に覚えのないことでも

856名無しさん:2015/01/26(月) 21:24:37
仏教の言う「空から解脱することは空をよく知ることである」とはペニス妬みである、なんて思ったりもした

857名無しさん:2015/01/26(月) 21:30:48
まあ小説としては自分の意味だけで言葉を紡いでいいと思うけど
「小説のストラテジー」として書くなら自分の意味だけで言葉を書いちゃいかんでしょと
演出家なんかはその芝居のストラテジーをスタッフ役者に共有させるのが仕事なわけで

858名無しさん:2015/01/26(月) 21:34:26
まあそういう演出家の言葉を理解しようとするのがスタッフ役者の仕事でもあるけどな
個人作業の小説家がストラテジーなんて言葉使うのが片腹痛い

859名無しさん:2015/01/26(月) 21:35:33
むしろ小説なんかストラテジーなんかなくてやれる芸術なんだからもっと自由にやればいいのに

そうなると出版されている小説の記述も2ちゃんにあるレスの記述も同じものだとなっちゃうがな

860名無しさん:2015/01/26(月) 21:36:59
多分サトアキとかカタルシスとはいったいどういう意味か、取り巻きとかじゃなくて対等な立場できちんとはなししたことないんじゃねとか
演劇とか「カタルシスっていったいなによ?」とか演出家スタッフ役者対等な立場で議論する

861名無しさん:2015/01/26(月) 21:41:36
というわけで>>829を読む限り、サトアキは(サトアキの考える意味の)「カタルシス」を批判しているわけじゃないとわたしには読めたんだが
「カタルシスは物語によってではなく記述によって起きるもの」という意見だ

サトアキの言う「物語」と「記述」の違いは分からないが、それらは双方象徴あるいは想像であるのはおそらく確実であろう
つまり、「物語」も「記述」も仮象である、とわたしは考える

カタルシスとは、仮象と実存の離接点である、とわたしは考える
つまり、物語によってあるいは記述によって起きるものでもあるが、フィクションではないリアルによって引き起こされるのがカタルシスだとわたしは考える
サトアキの考えるカタルシスはフィクションではないリアルを考えられてない

つかこう考えないとブレヒトの異化効果をカタルシスとして論じる演劇論とか理解できねえだろ
サトアキが演劇論ド素人なのは理解した

862名無しさん:2015/01/26(月) 21:42:37
カタルシスとはいわば芝居でその芝居をぶちこわすことだ

863名無しさん:2015/01/26(月) 21:48:28
サトアキの考えるカタルシスは妄想の中のものでしかない
エメで言えば、女優を襲ってなおかつ女優が自分の存在をネタにしたという妄想を抱き続けるようなものだ

エメは、女優を襲うという行為によって、その女優が自分の存在をネタにしている妄想から抜けだしたのだ
これこそがカタルシスである

864"私":2015/01/26(月) 22:29:03
覆いがとれるんだよなー。
そういう意味では私の書いた小説と言えない小説は、物語として帰結はしてないがあそこで終わってよかったのか、と変な納得した。

865まぐな:2015/01/26(月) 23:11:36
>>861
詩論を引用して語ってた気がするな、ストラテジーでは。

866まぐな:2015/01/26(月) 23:13:21
アリストテレスのな。

867まぐな:2015/01/26(月) 23:17:06
ブレヒトはサトアキはよく持ち出してるな。異化効果もカタルシスになるのか。

868まぐな:2015/01/26(月) 23:58:58
>>835
確かあれだったな、うろ覚えでいうと、シャマランの「サイン」はカタルシスに力点を置く見方ならば駄作だが……というような感じだったか。

869名無しさん:2015/01/27(火) 09:08:23
>>865
そのアリストテレスの定義が「浄化」なわけだが、その浄化をフィクションの中にあるものとして考えておるだろう
そこが間違い
演劇はフィクションでありながらそこにある事実でもあるが、小説の場合はそうはいかんだろう

870名無しさん:2015/01/27(火) 09:55:50
小笠原vs藤田が開戦か

871名無しさん:2015/01/27(火) 11:57:36
なんかわたしが誘導したようでどうしようなんて思っちゃうのは自意識過剰か

872名無しさん:2015/01/27(火) 11:58:37
                              / ̄ ̄ ヽ,
           喧嘩をやめゅてぇ〜♪    / 丶 /   ',
                         ノ//, {゚}  /¨`ヽ {゚} ,ミヽ
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873まぐな:2015/01/27(火) 13:19:28
>>869
演劇と小説ではまた作法が異なるということか。

874名無しさん:2015/01/27(火) 13:32:41
作法というか、実存を考えてないのがあれなんだよ
フェミニズムがいいところまで生きながら「性関係は存在しない」「女は存在しない」というラカン精神分析まで行きつけないゆえんなのであるが
サトアキのこの思考回路、カタルシスをフィクションの中だけに捉えているのが、同じ罠にハマっているわけだ

カタルシスとは妄想から覚めることであるが
ここでの妄想とはわれわれが思っている日常的な現実も含む妄想である
ゆえにそれから覚めることとは世界の破滅にもなるわけだが

妄想からさめた日常的な現実とは別の現実とは一体何か
これを仮にでも実存やら涅槃やらと定義しないと、空はいつまでたっても無自覚な、無意識なままとなる

875名無しさん:2015/01/27(火) 13:34:06
煩悩から逃れられない

カタルシスをフィクションの中だけで捉えている限り、浄化はされない

876名無しさん:2015/01/27(火) 13:36:14
サトアキの文章自体はカタルシス批判ではないが、
カタルシスを妄想から覚めて実存にいたることだとすると、カタルシスをフィクション=妄想の中だけとして捉えているのは、
わたしの言う意味でのカタルシス批判になる

877名無しさん:2015/01/27(火) 13:37:32
カタルシスの意味が劣化されるんだよな

878名無しさん:2015/01/27(火) 13:39:09
まあそんなことより小笠原vs藤田がどうなるのかワクテカである

879まぐな:2015/01/27(火) 15:17:42
>>876
カタルシス批判というといい方がまずかったか、創作作品にカタルシスを求める読者(視聴者)を批判したと言えば近いだろうか。
「サイン」と言う映画はそういう種類の視聴者にとってみれば……。と。

880まぐな:2015/01/27(火) 15:19:11
ttp://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-0b0c.html
佐藤亜紀と同じではないが、かなり影響を受けていると思われる仁木ちゃんのカタルシスに関する意見を張ろう。

881名無しさん:2015/01/27(火) 15:20:47
なんかカタルシスが受け取り手の情動的な起伏、メリハリみたいなもんとしてしか話されてないからすんごくどうでもいい

わたしの言うカタルシスは、それこそエメが自我理想としての女優を襲って、その女優が自分の人生をぱくっていたという妄想から覚めることだ。

882"私":2015/01/27(火) 15:21:12
>>872
ジュウシマツ住職はやめれww
ツボに入るww

883名無しさん:2015/01/27(火) 15:21:28
まぐなのいう「拡散」とかがカタルシスだよ
わたしの言う意味での

884名無しさん:2015/01/27(火) 15:28:16
ある意味まさに住職である

885名無しさん:2015/01/27(火) 15:29:48
仏教として考えても、ダウンタウンの元ネタは、ギャグだけに収まらない示唆がある
歴代住職という偶像に並んでジュウシマツの顔があること
これはひとつの「師に逢うては師を殺し」である

886"私":2015/01/27(火) 15:31:37
「サイン」に一般的な意味でのカタルシス(昇華みたいな意味)を感じた私としてはブツブツ……。
そのバットだー!
お母ちゃーん!! このことだったのねー!!

萩尾さんの話は、銀の三角とかバルバラ異界とかが解体してるなー。
それまでの世界が。
そのあとの世界もまああるわけだけど。
と独り言。
息子が装束で父親役ではなく父を襲う世界に変わったんだな。(バルバラ)
と考えている。

887"私":2015/01/27(火) 15:32:13
>>885
うふふふふふふ
(あれ自動的にヤバイ。)

888まぐな:2015/01/27(火) 15:33:08
>>874
>カタルシスとは妄想から覚めることである
これはちょっと意外ですな。↑で張った文章とかだと、現実世界での暴力=加害者だけの一方的暴力=現実の苦しみにはカタルシスは稀であると結論付けている。
つまり仁木的な見方だとカタルシスを得ること=ストレス解消=妄想に閉じこもること=合意の上での暴力、見せ物としての暴力=現実の暴力から目を背けること、という風に考えていると思われる。
俺が読んだ限りだと佐藤の見解とこれは近い。
だがミニハンからすると、カタルシスは妄想から覚めることという訳だ。この辺りはどうなるんだろうな。仁木の場合だとこれもフィクションとしてのカタルシスとして捉えてる感じか。

889名無しさん:2015/01/27(火) 15:35:10
>>888
そうじゃね

890名無しさん:2015/01/27(火) 15:38:50
演劇論ならたとえば黒テントとかがテント公演でラストに舞台の後ろのテントの部分開けて現実の風景を示したりするが、ああいうのがカタルシス
テントの中にある演劇空間という妄想が、テントが開け放たれることによって、現実(まあこれも妄想なんだが)によって破滅すること

コクーン歌舞伎でも「夏祭浪花鑑」で舞台奥の搬入口を開いたりしてたな
コクーンの搬入口ちっちゃいからあんまりカタルシスでもなかったけど
まあ勘九郎が大人になってもちびっこギャングだからできたことである

891"私":2015/01/27(火) 15:39:11
なにか食べなくてはならねば。

>>886
自己レスだが、まあ妄想(お母ちゃんのいた幸せな日々)が壊れた世界から、お母ちゃんは正しかった世界への回復のお話かもしれないけどね。なんか灰色のやつが出てくる点でカオスではあるけど。
B級SFとかホラーとかって現実という妄想より、頭の中が現実化しちゃうほうの、妄想の恐怖に近い気はする。

892まぐな:2015/01/27(火) 15:39:39
>>886
ネットでストラテジー感想検索してみると、ほんとにそう書いていたのか自身がなくなってきた。評者がちゃんと読めてないっぽいのが多いが。
だが少なくとも「サイン」が普通にカタルシスを求める読者の求めるものとは違うものを描いているという風には書いてたはずだ。
もう一回見直してみないとな。

893名無しさん:2015/01/27(火) 15:40:26
カタルシスを得ることとはストレスなんて次元ではなくトラウマそのものを受け入れることだよ
トラウマによって妄想の固着が生じるわけだが、それが妄想だと気付いてそれに覚めることによってトラウマそのものを受け入れることになる

894"私":2015/01/27(火) 15:41:58
>>892
あ、まあごはん食べたらサトアキさんのを読んでみる。読まずなんちゃらやってるからな私よく。
(『サイン』が好きなのでどう捉えられているものか気になる点で読んでみる)

895名無しさん:2015/01/27(火) 15:42:23
まあ小説論のカタルシスはドラマツルギーの中に収まった卑小な概念とわたしは理解したのでいんじゃね
演劇論のカタルシスは精神分析概念のカタルシスとも通じるものだ

896まぐな:2015/01/27(火) 15:43:27
>>883
ほおおおおお、そんなものなのか。もっと狭義のものという風に考えていた。

897名無しさん:2015/01/27(火) 15:44:56
妄想の固着から解放されるという意味では、な

898"私":2015/01/27(火) 15:46:34
>>893
トラウマそのものを受け入れるってどんな感じのことなのかなー。

あと確かに小説の講座では(作法本なんかも)昇華のことをカタルシスと呼ぶことが多いので、演劇世界での舞台への投影が底を抜かれる感じとは根本的に違いそうだな。

899まぐな:2015/01/27(火) 15:47:09
>>890
なるほど、という事はサトアキのよくいう「膜の一枚下にあるグロテスクな現実をチラリと覗かせる」ようなものこそ本来の意味でのカタルシスに近い訳か。
サトアキ自身はそれをカタルシスとは別な者のように捉えている節があるが。

900"私":2015/01/27(火) 15:48:01
飯を食う。

901名無しさん:2015/01/27(火) 15:48:46
>>899
そだな
演劇論と精神分析論のカタルシスはそういうもの

小説はどうあがいても文字上の仮象にすぎないからそう考えちゃうんじゃね

902名無しさん:2015/01/27(火) 15:50:00
>>898
仏教で言えば一切皆苦かなあ

903名無しさん:2015/01/27(火) 15:51:13
解放っていうのがストレスからの解放だとか快感原則に基づいちゃうからそうなってるんじゃね
この仁木とかは不快からの解放としてしかカタルシスを考えてない

そもそもの快感原則から解放されるのがカタルシスである

904名無しさん:2015/01/27(火) 15:53:57
妄想が現実によって破壊浄化されることがカタルシスを考えたら、
どうあがいても現実と距離があってしまう文字だけの芸術である小説自体がカタルシスから縁遠いものだとなろう
それがいやだからカタルシスを妄想フィクションの中にだけ収めて考えてるんじゃね

それだと演劇論と精神分析のカタルシスとは異なる概念になるってだけ

905名無しさん:2015/01/27(火) 15:59:18
逆に言えば文字だけの芸術で「妄想の外部にある現実」を表現しようとするのがいいのであって
演劇が黒テントがしたようなテント開け放ちとか寺山の該当演劇とかは単純で幼稚な手法だとも言える

906名無しさん:2015/01/27(火) 15:59:49
街頭演劇な

907名無しさん:2015/01/27(火) 16:00:22
サトアキの言うカタルシスじゃ渡邊守章の言うカタルシスを理解できまい

908名無しさん:2015/01/27(火) 16:01:21
ちなみにルイ14世の宮殿で行われた大宴会においてはほとんどの演劇バレエは野外で行われた

909まぐな:2015/01/27(火) 16:05:25
>>901
なるほどなあ。

映画はどうなんだ。演劇と小説の中間点にありそうな感じがするが。

910名無しさん:2015/01/27(火) 16:07:58
映画は妄想を壊す現実がスクリーンだったり光だったりするからなー

まあ余談的に言うと、寺山などは映画で客席にその俳優がいきなり出てきたりとかそういう映画を計画していたらしい、とだけ
実際にしたんだっけかな
あれだ、三上博史が主役の奴で
草迷宮か

911まぐな:2015/01/27(火) 16:09:01
>>903
かなり狭義な解釈ではあるなあ。仁木の解釈するカタルシスはちゃっちい。
実際はカタルシスってそれほどの広い意味を持っていたとは初めて知ったもんだ。

912名無しさん:2015/01/27(火) 16:13:58
そういった意味ではドリフのオチで家が半壊するのなんかは「妄想の破壊」というセンでカタルシスなわけだよ
さらにドリフのいいところは実際にスタッフが死亡事故を起こしていることだ
まあだからこそ今のテレビであんな危なっかしい舞台装置作らなくなったんだろうけど

913まぐな:2015/01/27(火) 16:14:43
>>904
サトアキの現実を見せたい、という主張と、小説は小説なのかで中だけで読めという主張ってよく考えれば矛盾するよな。
前者をタクティクス(戦術)と後者をストラテジー(戦略)と言う言葉で表現していたが。
前者はよりリアルタイムな物(つまり現実を描きたいということ)で、後者はポンペイの例を引き、そのリアルタイムな物が死に絶えた後に残る形で、それはなぞることが可能であるという主張だが。

914名無しさん:2015/01/27(火) 16:18:23
まあ小説などはすべて死後の世界を書くものではあるかもしれない

915名無しさん:2015/01/27(火) 16:18:58
すべてのシニフィアンは事後的なものって奴だ
でりだー

916名無しさん:2015/01/27(火) 16:21:47
ドリフとか大道具やってりゃわかるがあの客前でタッパが三間ぐらいある建屋をぶっ壊すのとかすんげーこええことなんだよ
そりゃ死亡事故も起こるわ、と

こんな感じで見るようになったらドリフがそこでやっている演劇はポンペイ市民がリアルタイムで死んでいった事態を見ていることになろう

バレエなんてのもそうだ
客が見えない舞台の奈落でダンサーからレイプ的なことされた女性スタッフがいると思ってみれば、
レイプ現場を見ていることになる

917名無しさん:2015/01/27(火) 16:29:30
少なくともあれだ、小説論の「フィクションの中における昇華」としてのカタルシスという概念は、精神分析のカタルシスという概念とは全く異なる意味になる
それなら、たとえば黒テントが物語のラストでテントを開け放ったりすることを示す演劇論のカタルシスの方が、精神分析のカタルシスという概念と通じる
たとえばエメが自我理想という妄想としての女優を襲って妄想がやんだのは、黒テントがテントを開けて自分たちが作った演劇空間という妄想を破壊することと同じようなことであろう

918名無しさん:2015/01/27(火) 16:30:31
まあ別にいいんじゃよ、小説論独自のカタルシスって意味で
わたしはそんなカタルシスなんてすんごくどうでもいいってだけで

919まぐな:2015/01/27(火) 16:30:48
>>914
確かに生まれる前から死んでいるものが小説なのかも知れんな。

920名無しさん:2015/01/27(火) 16:40:29
受け取り手の情動の起伏だけなら、水商売女が客に対してやってることと同じであるわけだよ

そこに店が終わって昼までやってるスナックでメイク直しなんてしないで飲んでるホステスたちという現実を考えれば、
キャバにもカタルシスはある
化粧したキャバ嬢という妄想が壊される現実があるとすれば

921まぐな:2015/01/27(火) 16:41:33
>>917
ああなるほど、俺自身も小説は小説の中で完結しているべきである論者だったから、ミニハンのよく書く、現実とフィクションを交差させるやり方に居心地の悪いものを感じていたが、
小説はある面では文字によって現実とは明確な隔離があるからではあったんだな。演劇とかやっていればそうもいかないのは納得出来た。

922名無しさん:2015/01/27(火) 16:43:53
つか演劇でも現実と空想が混同するものを好んでました
りぶれせん(変換めんどくせ)とかな

車谷長吉も小説は虚実混交しているものだとしている
だから私小説になっちゃうわけだけどな

923名無しさん:2015/01/27(火) 16:45:41
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E5%9B%A3%E9%9B%A2%E9%A2%A8%E9%9C%8A%E8%88%B9
りぶれせん

924名無しさん:2015/01/27(火) 16:46:27
>ラストに大きな舞台崩しを行うのが特徴で

そうそう
ゴジラの本多劇場とか劇場と喧々諤々したらしいwww

925名無しさん:2015/01/27(火) 16:49:26
>ラストに大きな舞台崩しを行うのが特徴で

こういうのが演劇論のカタルシスなわけっすよ

926まぐな:2015/01/27(火) 16:53:48
>>922
高橋克実が前所属してたのか。

927名無しさん:2015/01/27(火) 16:55:50
そそあのハゲの人

928まぐな:2015/01/27(火) 16:59:05
>>922
なんかさあ、歴史と文学をやってると歴史好きは歴史は小説じゃないからそこから隔離せよという、
小説好きは小説は小説だから思想その他からは隔離せよという。
思想好きは歴史と小説を絡めるのも好き、思想と小説を絡めるのも好きだ。
それで歴史好きと小説好き、双方向から揚げ足を取られるという事がある。
「知の欺瞞」事件は理系からの壮大な揚げ足取りだったのかねえ。

929名無しさん:2015/01/27(火) 17:01:42
受け取り手の情動の起伏なんてどうでもいいんだよな
精神分析が好意も嫌悪も転移だとするのと同じで、その人の妄想の中のこと

わたしはなんども言うが、演劇は、舞台上にあるものではなく、観客一人ひとりの頭の中にある妄想としてある
だからこそ、その頭の中の妄想を壊すことが舞台崩しなどとして成立する

どうでもいいというより瑣末な問題なんだよ
精神分析において好意も嫌悪も転移であるのと同様に




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