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連投規制で書けなくなった人あつまれー ★10
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前スレ
連投規制で書けなくなった人あつまれー ★9
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1414916254/
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自我理想は父でもあるから、「妻を愛しているけどセックスできない男性」にとっての「愛している妻」は、父性的なものとしてあったと言える
つまりその男は父性的な存在として妻を愛していたわけだ
父性的というのは、自分に性的欲望を禁止する存在だ
その男は、自分に性的欲望を禁止する存在として妻を愛していたわけだ
だからこそ、彼は妻と性行為できなくなる
自我理想と理想自我とは鏡像aの二重化にすぎないのだが、一方で、性的欲望を満足させる存在としての理想自我がある
自我理想としての父性あるいはその妻は自分に性的欲望を禁止する高貴な存在である
その高貴な存在とは逆に自分に性的欲望を持たせるのだから、理想自我は卑しい存在だとなる
こうしてその男は、愛しているわけでもない売春婦と性行為することになる
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自我理想と理想自我は、あちらを立てればこちらが立たず的なシーソーみたいな関係にあるわけではないが、
それらがシーソーのような関係になっているのが強迫症
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ちなみに自我理想と理想自我を「両方立てられた」様態がパラノイアである
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パラノイアは自我理想と理想自我が近接しているわけだから、エメにとってのその女優は自我理想であるが理想自我でもあったと言えるわけだ
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>>785
カタルシス批判的なのはサトアキもやっていたな。小説という場にに於いてだが。
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藤田とルソーでググっても余りでないな。小笠原がルソー主義者と読んでるだけなのではと思える。
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大自然ってだけかと思ってるがそんなつまらない話なら藤田が向井に「あんたは共産党員だ」つって噛み付いたのと同レベルだよなあと思った
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>>801
ほほう
どんな意味でカタルシスつってたんだろ
まあなんだ「あとに残るような作品」だと「カタルシスがなかった」ってことになるとかそういう意味なら
作劇法によるなとしか
ハリウッド映画だって必ず続編を匂わすラストにするとの同じ
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精神分析的には、カタルシスとは妄想と現実との区別みたいなこと
それこそエメが自分の小説ぱくったと思ってた女優を襲って刑務所に入れられてそういった妄想が止むこと
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ただ、この場合の妄想は、それこそ「性関係は妄想でしか存在しない」というレベルの妄想であり
われわれが現実だと思っているものも妄想に含まれる
そういった意味でカタルシスとは世界の破滅でもある
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いやん気になってきたじゃん>ルソー主義
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カタルシスって語源は排泄らしいぜ
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大掛かりな舞台装置はうんこなんだよ
だから下品で間違いない
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藤田がうんこって意味で「大自然が分析家」と言ってるならルソー主義者じゃないだろと反論してやってもよい
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まぐなー
サトアキのカタルシス批判ってどんなんだったー?
覚えてないならいいや
まあ上で書いたように演劇人かつ精神分析派としてはカタルシス批判には反論しなくてはならないのだよ
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ぶっちゃけカタルシスとは「妄想から覚めること」である
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>>805
萩尾望都の「ローマへの道」ってなんかこうそういう思ってたことを突き止めに行ったら目から鱗が落ちるみたいな話だったな。
(萩尾さんはバレエとか好きで『カタルシス』という短編も描いている。私はその漫画でカタルシスという言葉を知った)
座椅子に座ったままうたた寝してしまって首が痛いがまだ眠い……。
実質二時間くらいしか眠れてないのね昨夜。
>>792
なんか昔はまった趣味を卑下するけど懐かしいみたいなのを思い出したけどちょっと違いそう。
眠いようう。
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まあノスタルジーは理想自我でまちがいないが、「自我理想が理想自我を卑下する強迫症」における理想自我はちょっと違うなあ
まあ自我理想がない人がいくら考えてもわかるわけがないでいんじゃね
雑談スレならそれこそ>>636みたいなことだ
もう少し付け加えるなら、強迫症って潔癖症とかもそうなのだよね
潔癖症ってのはバイキンとかを怖がるわけじゃん
そういう「ケガレに対する恐れ」みたいなものもあったりすると思われる
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>>812
ふむう。
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あ、アンカちがうし。
>>815→>>814
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えっとなんだっけ、奥歯さんの引用していた聖人だったかシスターだったかの話の時に自我理想の話をミニハンしていた?
普段も使い物にならないのに出力30%でお送りしておりまふ。
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でも出力95%くらいの時に読み直すのがよい気もしてきたなり。
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あー「聖女テレジアへの違和感」か。
横耳にそれるかもなので流してもよい。
眠いよ!
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横耳ってなんだYO!
ちょっと落ち着くね。
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>>819
うん、それは言った
女には自我理想がないから、二階堂にとって聖テレジアは自我理想だったとは言えないけど
理想自我として不十分だった、と言うべきかなーと
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特にアスペは自我理想が不安定だと思うし
なんだっけ、アスペの綾屋さんがあるとき「あああの人昔あこがれてたなあ」つったら相方の身体障害者から「それだよ君に足りないのは」って言われたとかそういうの
自我理想は憧れの人でもあるからな
憧れであって去勢する他者でなければならないが
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聖女テレジアって要するにシュレーバーの言う「神の女」だと思うのだね
抹消されてないLa
「存在する女」
シュレーバー男でありながら「存在する女」になったけど、テレジアは女でありながら「存在する女」になった
これが他者の悦かなあ、などと最近整理づいてる
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ディスカバリーで未来の軍事力みたいな番組やってたけどアメリカのえらっぽい人が「対テロ戦争においては内戦などという概念はもうなくなっている」とか言ってたよ
1.戦争は国家同士の争いである
2.国家の中での争いは内戦である
みたいな思考回路だと思うんだよな
けどアメリカの考える対テロ戦争は上記の1が成り立たないわけだ
だから2が成り立たない、と
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ある意味対テロ戦争でアメリカのグローバリズムは完成する、みたいな
もちろん皮肉を込めてな
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あ、間違えたw
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>>804
手元に本がないので、
ttp://blog.nagii.org/?eid=230086
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>>823
シュレーバーこのみや君も上げてたな。案外そういうのが彼ののぞみなのかねえ。
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>>827
ああこれは書き手が自分のいいたいこととして消化しちゃって書いてるか。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/rtpcrrtpcr/35031166.html
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>>825
皮肉っすねえ。
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もうマジダメだ寝ようと思って、床で寝たら絶対乾燥して風邪を引くという理性に従って粛々と眠る準備をしていたらお腹が空いている自覚が来たのでお弁当を食べたなう。
眠気とずっと格闘してたのでもう夜10時くらいのイメージ。
夜の12時って書いて先生に笑われたような気がする(正確には午後の0時などだったかもしれないけど)のを思い出すなう。
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>>831
コンビニ弁当か。最近よく食ってる。
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>>828
他者の悦はファルス悦の補完でもあるからなー
a-a'に不具合のある人は他者の悦とファルス悦の区別はつかない
アスペなどはそうであろう
たとえばマグナの四肢切断話など、自分は加害者か被害者かどっちとも言えない状態であったろうさ
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>>833
あ、それなんかわかる気がするな。
(加害者か被害者かわからない)
他者の悦がわからないのでプリンターを買おう。←つながりが。
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これか
2 フィクションの「運動」?読み手が反応するのは物語ではなく記述である: フィクションの表面をなすのは記述の運動(記述が対象を語り、
状況とその変遷を語ることで動いていくこと)である。苦難の浄化(パトスのカタルシス)は物語からでなく、記述の運動からくる。
フィクションをフィクションだと知ることが「カタルシス」なのでサトアキのカタルシスはわたしの言っている意味とは異なるな
むしろサトアキはカタルシスをフィクションに閉じ込めている
カタルシスとは、フィクションとリアルの離接点だ
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フリースブランケットで体温上げすぎると眠くなる気がする。電気と静電気、てきななにか。
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>>834
他者の悦=ファルス悦を喜ぶ悦
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記述が対象を語ってもないし、状況とその変遷を語ることで動いてなんかもいない
それは妄想よ 想像よ
いつまで夢見てるつもりなのロマンス
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記述は対象を語ってなんかおらず、状況とその変遷を語ることで動いているのは妄想でしかない
ということに気がつくのがカタルシス
(主観)世界の破滅
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>>835
ネタバレになるけど、先述の本のほうの話は人殺しの母親に会いに行った主人公がマリーム?みたいなクッキー割った瞬間に本当の記憶を思い出すんだよなー。
でもなんで私の中で「ローマへの道」と「カタルシス」が混ざってるんだろ。
「カタルシス」はなんか日本人の過干渉母ちゃんの顔が最初のほうはあんたのためにーとか言ってるんだけど突然般若みたいになる話だったっけか。うーん、自信がない。
たぶん対母親っていう分類になっていたり、読む時期が近かったのではと思うが。
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ちなみにサトアキはサトアキが思っているカタルシスを批判しているわけでもなさそうだが
カタルシスは物語ではなく記述によってなされるものだ、ということではないだろうか
彼女の言う物語と記述の違いがわからないのでそれについてはわたしはなんとも言えないが
なんつかね
サトアキの話って説明が下手な演出家なんだよな
彼女が演出したらスタッフは好き勝手やるだろうな、的な
それを演出家のサトアキが怒り狂うって構図が見えてしまった
演出家ってねー
自分の考えた意味だけでしゃべってたら仕事になんないんだわー
そういう意味では自分の考えた意味だけで世界が作れる小説家はいいね
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>>823
ttp://homepage2.nifty.com/waterways/oquba/notes/oquba292.html
この前者と後者が混在していることを自分で裁いているわけだよな。
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眠気とだるさと風呂の綱引きに負けそうなのでいったん落ちてやることすませてくるあ。
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>>840
本当は俺のための母ちゃんを思い出すよりは母ちゃんが般若顔ーのほうが確かにカタルシスなのかもなーとは思うけど、話を間違えてたら話にならないから作品集のある図書館を探すかのう。
思い出した記憶っていうのも、その時の「理解」つまり判断とか誤解でしかないとも言えて、それもまた違う物語、ではあるからな。
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「存在そのもの」というのが物自体的だが
なんつのかなー
そこはわたしは仏教の空で納得してるなー
すべては空である=存在そのものなど存在しない
空から解脱しようとすること=存在そのものなど存在しない世界から抜け出すこと≠存在そのものに近づくこと
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私のフラバとか画像記憶とか聴覚というか言葉の記憶なんかは、事実で証明できることは多いが、それが私にとってどう作用するように変わったかは私の今の物語だからな。
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逃げたいだけなんですよややこしく言ってるけど
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>存在そのものなど存在しない世界から抜け出すこと≠存在そのものに近づくこと
ここの折りたたみがa-a'だったりするのかもな、と
存在そのものなど存在しない世界(わたしたちが思っている日常、現実)から逃げ出したいだけで、それは存在そのものに近づくことではない
現実逃避ならぬ仮象からの逃避の言い訳としてしか実存など存在しない
その言い訳としてあるその感覚(たとえばトラウマの回帰)こそが、客観的な一般的な意味での現実ではない主観的な現実感の根拠ではあるが
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だから、トラウマが回帰することは、病んでいることではあるが、ラカン的な意味ではない現実の根拠を見定めるという意味では、正常化なんだよな
トラウマものが流行ることへの危機感は、病んでいる証拠であるトラウマを持つことが実は正常になろうとすること、いわばツンデレ的なことだとばれるから
であったりする、わたしは
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前性器的リビドーからペニス妬みへの発達、小笠原さんの言葉なら分析家の言説からヒステリーの言説への以降が、トラウマの形成だと
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>>845
うん、
理解してるとは言えないが、
認識が変わった時に(存在そのものなど存在しない世界から脱することがあるとしたらその時)にはこちらの存在様式も意識も認識も変わらないことはないと思うのでなんとなく、
中性子線浴びるようなイメージがあるけど。
解脱→救い→なんか楽や幸せ、だと思えない。地獄っぽいんじゃないかと思うのなー。
でもこれは特に昔から持ってたイメージじゃないな。
ミニハンの言葉読んだり瀧口さんの書く物という言葉に近づいていくに連れて殺伐として行くように感じるようになった。
存在そのものが存在しない世界という表現は、少しずつそちら側にぐるりとまわって見てみて腑に落ちてきていて、
ただ腑に落ちるものでもない気はする。
ノシ
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移行っすた
で、前性器的リビドーってのは、リビドーからすれば、網からこぼれる水みたいなもんなんだよ
網から逃げる様態なわけだ
だから、「現実(もちろんラカン的な意味ではない)逃避」こそがリビドーではない前性器的リビドーの様態だとなる
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>>848
>>849
ふむ。
>>850
ふむ。
明日か帰ってきたら考える。
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「ある」と「ない」という認識の仕方自体が、前性器的リビドーではないリビドー様態なのだな
だから、前性器的リビドー、前オイディプスであるならば、すべてのものがあるとも言えないしないとも言えない
ああでも前オイディプスはヒステリー含むか
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男性原理じゃないが男性原理的なものの裏返しではある
男性原理とは人における妄想の偏りみたいなものと思えば良い
妄想=空から解脱することとは空をよく知ることでもあるため、妄想の偏りすなわち男性原理も知っておかなければならない
自分の身に覚えのないことでも
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仏教の言う「空から解脱することは空をよく知ることである」とはペニス妬みである、なんて思ったりもした
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まあ小説としては自分の意味だけで言葉を紡いでいいと思うけど
「小説のストラテジー」として書くなら自分の意味だけで言葉を書いちゃいかんでしょと
演出家なんかはその芝居のストラテジーをスタッフ役者に共有させるのが仕事なわけで
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まあそういう演出家の言葉を理解しようとするのがスタッフ役者の仕事でもあるけどな
個人作業の小説家がストラテジーなんて言葉使うのが片腹痛い
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むしろ小説なんかストラテジーなんかなくてやれる芸術なんだからもっと自由にやればいいのに
そうなると出版されている小説の記述も2ちゃんにあるレスの記述も同じものだとなっちゃうがな
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多分サトアキとかカタルシスとはいったいどういう意味か、取り巻きとかじゃなくて対等な立場できちんとはなししたことないんじゃねとか
演劇とか「カタルシスっていったいなによ?」とか演出家スタッフ役者対等な立場で議論する
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というわけで>>829を読む限り、サトアキは(サトアキの考える意味の)「カタルシス」を批判しているわけじゃないとわたしには読めたんだが
「カタルシスは物語によってではなく記述によって起きるもの」という意見だ
サトアキの言う「物語」と「記述」の違いは分からないが、それらは双方象徴あるいは想像であるのはおそらく確実であろう
つまり、「物語」も「記述」も仮象である、とわたしは考える
カタルシスとは、仮象と実存の離接点である、とわたしは考える
つまり、物語によってあるいは記述によって起きるものでもあるが、フィクションではないリアルによって引き起こされるのがカタルシスだとわたしは考える
サトアキの考えるカタルシスはフィクションではないリアルを考えられてない
つかこう考えないとブレヒトの異化効果をカタルシスとして論じる演劇論とか理解できねえだろ
サトアキが演劇論ド素人なのは理解した
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カタルシスとはいわば芝居でその芝居をぶちこわすことだ
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サトアキの考えるカタルシスは妄想の中のものでしかない
エメで言えば、女優を襲ってなおかつ女優が自分の存在をネタにしたという妄想を抱き続けるようなものだ
エメは、女優を襲うという行為によって、その女優が自分の存在をネタにしている妄想から抜けだしたのだ
これこそがカタルシスである
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覆いがとれるんだよなー。
そういう意味では私の書いた小説と言えない小説は、物語として帰結はしてないがあそこで終わってよかったのか、と変な納得した。
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>>861
詩論を引用して語ってた気がするな、ストラテジーでは。
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アリストテレスのな。
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ブレヒトはサトアキはよく持ち出してるな。異化効果もカタルシスになるのか。
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>>835
確かあれだったな、うろ覚えでいうと、シャマランの「サイン」はカタルシスに力点を置く見方ならば駄作だが……というような感じだったか。
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>>865
そのアリストテレスの定義が「浄化」なわけだが、その浄化をフィクションの中にあるものとして考えておるだろう
そこが間違い
演劇はフィクションでありながらそこにある事実でもあるが、小説の場合はそうはいかんだろう
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小笠原vs藤田が開戦か
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なんかわたしが誘導したようでどうしようなんて思っちゃうのは自意識過剰か
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/ ̄ ̄ ヽ,
喧嘩をやめゅてぇ〜♪ / 丶 / ',
ノ//, {゚} /¨`ヽ {゚} ,ミヽ
ふたりをとゅめてぇ〜♪ / く l ヽ._.イl , ゝ \
.ni 7 / /⌒ リ ヘ_/ノ ' ⌒\ \
l^l | | l ,/) (  ̄ ̄⌒ ⌒ ̄ _)
', U ! レ' / / ̄ ̄ ヽ, ` ̄ ̄`ヽ /´ ̄
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ヽっ{゚} /¨`ヽ {゚}, l^l.| | /)ノ |
/´ ̄ ̄ .l ヽ._.イl ', | U レ'//) ノ
/ ィ-r--ノ ヘ_/ノ ', ノ / ∠_
,/ ヽ rニ | f\ ノ  ̄`丶.
丿' ヽ、 `ヽ l | ヽ__ノー─-- 、_ )
. !/ ヽ、 | | | / /
/ !jl |ノ ,' /
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>>869
演劇と小説ではまた作法が異なるということか。
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作法というか、実存を考えてないのがあれなんだよ
フェミニズムがいいところまで生きながら「性関係は存在しない」「女は存在しない」というラカン精神分析まで行きつけないゆえんなのであるが
サトアキのこの思考回路、カタルシスをフィクションの中だけに捉えているのが、同じ罠にハマっているわけだ
カタルシスとは妄想から覚めることであるが
ここでの妄想とはわれわれが思っている日常的な現実も含む妄想である
ゆえにそれから覚めることとは世界の破滅にもなるわけだが
妄想からさめた日常的な現実とは別の現実とは一体何か
これを仮にでも実存やら涅槃やらと定義しないと、空はいつまでたっても無自覚な、無意識なままとなる
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煩悩から逃れられない
カタルシスをフィクションの中だけで捉えている限り、浄化はされない
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サトアキの文章自体はカタルシス批判ではないが、
カタルシスを妄想から覚めて実存にいたることだとすると、カタルシスをフィクション=妄想の中だけとして捉えているのは、
わたしの言う意味でのカタルシス批判になる
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カタルシスの意味が劣化されるんだよな
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まあそんなことより小笠原vs藤田がどうなるのかワクテカである
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>>876
カタルシス批判というといい方がまずかったか、創作作品にカタルシスを求める読者(視聴者)を批判したと言えば近いだろうか。
「サイン」と言う映画はそういう種類の視聴者にとってみれば……。と。
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ttp://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-0b0c.html
佐藤亜紀と同じではないが、かなり影響を受けていると思われる仁木ちゃんのカタルシスに関する意見を張ろう。
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なんかカタルシスが受け取り手の情動的な起伏、メリハリみたいなもんとしてしか話されてないからすんごくどうでもいい
わたしの言うカタルシスは、それこそエメが自我理想としての女優を襲って、その女優が自分の人生をぱくっていたという妄想から覚めることだ。
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>>872
ジュウシマツ住職はやめれww
ツボに入るww
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まぐなのいう「拡散」とかがカタルシスだよ
わたしの言う意味での
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ある意味まさに住職である
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仏教として考えても、ダウンタウンの元ネタは、ギャグだけに収まらない示唆がある
歴代住職という偶像に並んでジュウシマツの顔があること
これはひとつの「師に逢うては師を殺し」である
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「サイン」に一般的な意味でのカタルシス(昇華みたいな意味)を感じた私としてはブツブツ……。
そのバットだー!
お母ちゃーん!! このことだったのねー!!
萩尾さんの話は、銀の三角とかバルバラ異界とかが解体してるなー。
それまでの世界が。
そのあとの世界もまああるわけだけど。
と独り言。
息子が装束で父親役ではなく父を襲う世界に変わったんだな。(バルバラ)
と考えている。
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>>885
うふふふふふふ
(あれ自動的にヤバイ。)
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>>874
>カタルシスとは妄想から覚めることである
これはちょっと意外ですな。↑で張った文章とかだと、現実世界での暴力=加害者だけの一方的暴力=現実の苦しみにはカタルシスは稀であると結論付けている。
つまり仁木的な見方だとカタルシスを得ること=ストレス解消=妄想に閉じこもること=合意の上での暴力、見せ物としての暴力=現実の暴力から目を背けること、という風に考えていると思われる。
俺が読んだ限りだと佐藤の見解とこれは近い。
だがミニハンからすると、カタルシスは妄想から覚めることという訳だ。この辺りはどうなるんだろうな。仁木の場合だとこれもフィクションとしてのカタルシスとして捉えてる感じか。
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>>888
そうじゃね
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演劇論ならたとえば黒テントとかがテント公演でラストに舞台の後ろのテントの部分開けて現実の風景を示したりするが、ああいうのがカタルシス
テントの中にある演劇空間という妄想が、テントが開け放たれることによって、現実(まあこれも妄想なんだが)によって破滅すること
コクーン歌舞伎でも「夏祭浪花鑑」で舞台奥の搬入口を開いたりしてたな
コクーンの搬入口ちっちゃいからあんまりカタルシスでもなかったけど
まあ勘九郎が大人になってもちびっこギャングだからできたことである
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なにか食べなくてはならねば。
>>886
自己レスだが、まあ妄想(お母ちゃんのいた幸せな日々)が壊れた世界から、お母ちゃんは正しかった世界への回復のお話かもしれないけどね。なんか灰色のやつが出てくる点でカオスではあるけど。
B級SFとかホラーとかって現実という妄想より、頭の中が現実化しちゃうほうの、妄想の恐怖に近い気はする。
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>>886
ネットでストラテジー感想検索してみると、ほんとにそう書いていたのか自身がなくなってきた。評者がちゃんと読めてないっぽいのが多いが。
だが少なくとも「サイン」が普通にカタルシスを求める読者の求めるものとは違うものを描いているという風には書いてたはずだ。
もう一回見直してみないとな。
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カタルシスを得ることとはストレスなんて次元ではなくトラウマそのものを受け入れることだよ
トラウマによって妄想の固着が生じるわけだが、それが妄想だと気付いてそれに覚めることによってトラウマそのものを受け入れることになる
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>>892
あ、まあごはん食べたらサトアキさんのを読んでみる。読まずなんちゃらやってるからな私よく。
(『サイン』が好きなのでどう捉えられているものか気になる点で読んでみる)
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まあ小説論のカタルシスはドラマツルギーの中に収まった卑小な概念とわたしは理解したのでいんじゃね
演劇論のカタルシスは精神分析概念のカタルシスとも通じるものだ
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>>883
ほおおおおお、そんなものなのか。もっと狭義のものという風に考えていた。
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