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2018/01/07「アニマル・ライツ」

1夫 正彦:2017/11/07(火) 10:02:30
前半「動物の権利」について簡単に紹介して、討論。

後半は、ビーガン(ベジタリアンをさらに進めて動物由来の食品すべてを食べない人たち)について
私が皆さんをビーガン(の心情的理解者)にするべく説得するという形で発表したいと思います。
私自身はビーガンではありませんが、ビーガンの考えについて共感を抱いています。

特に課題図書とかはありませんが、関係あるサイトや書籍についてはこの掲示板でおいおい上げていきたいと思います。

147出口:2018/01/18(木) 21:26:17
甲殻類に関する記事がありました。

ttps://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35113106.html

148夫 正彦:2018/01/19(金) 15:15:54
出口さん、ありがとうございます。

さすがCNN、短いながらも正確な記事。

しかし、まぁ、日本の雑誌ですが、こういうひどい記事もあります。

エビカニ生前ボイルNG スイス政府“ビックリ禁止令”の波紋(日刊ゲンダイDIGITAL)
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/221384

こっちの方が、一般の日本人がこのニュースに対して抱く感情に近いのかな。

149出口:2018/01/20(土) 22:18:37
海洋生命科学部ではどのようなことを教えるのか気になってホームページを見にいってしまいました。

以前、美々卯で活き海老を鍋にいれるのに抵抗を感じたことを思い出し、何故そのように提供するのか理由がよく分かりました。

日本でヴィーカニズムが周知されること事態が難しいことのように感じます。

150夫 正彦:2018/01/22(月) 01:02:24
出口さん

スイスの法律は、生きたままゆでるな、ゆでる前に絶命させろ、とあるだけで、調理するな、とまでは言ってません。
すぐに調理すれば、生きたままゆでるのと鮮度においてそれほど変わらないような気がします。本当に味が落ちるのかも疑問です。

また、少々の味の良さを追求するためだけに、痛みの感覚を持つ生き物に苦痛を与えることが必要でしょうか。

CNNの記事にはこうあります。
「新法は、ロブスターは痛みを感じる可能性がある高度な神経系を保持しているとする研究結果を踏まえたものとなっている。」
厳密にある生き物に痛みがあるかどうかを判定するのは困難かもしれませんが、国の法律の制定根拠となるぐらいの、
信頼性を持つ研究があるということです。このあたりの研究に関しては、日刊ゲンダイに出てくる学者は無知なようです。

「美々卯で活き海老を鍋にいれるのに抵抗を感じたことを思い出し」
どうして抵抗を感じたのでしょうか。生きている海老を鍋に入れることが残酷だと感じたからではないですか。
海老が苦痛を感じていると思ったからではないですか。その感覚は正しいと思います。なぜなら海老は痛みを感じてますから。

日本にヴィーガニズムが浸透するのは確かに困難なことだとは思います。が、出口さんのように、生きた海老を鍋に入れることに
抵抗を感じる人も多いのです。だから、希望はあると思います。

151出口:2018/01/24(水) 01:35:49

どれほど味が落ちるのか疑問ですが、活き造りや踊り食いなど神経の働きの残る身を鮮度が良いと好む食文化であるため、魚介類の輸送や調理方法に規制をかけることが日本の食文化に大きな影響を与える事態ではないでしょうか。


海外旅行中に、目の前で削いだ豚の丸焼きの肉を食す機会がありましたが、可哀想で食べられないと昼食を抜いた友人が、夜には平気な顔で肉を食べていたことに違和感を持ったことがあります。日本では、マグロの解体が場を盛り上げる催し物となっていますが、マグロであっても彼女は可哀想で食べれなかっただろうかと考えると答えは違うように思います。


生きた海老を鍋に入れることに抵抗を感じた理由は、湯船に浸かり火傷をした経験(幼いころは現代のような温度設定機能などなかったので)が、「煮えた湯」と「海老が飛び跳ねる姿」から過去の痛みの記憶を連想したため、でしょうか。海老が生物だと自覚はしていましたが、鍋に入れる前から皿の上で飛び跳ねていましたし、茹でられて飛び跳ねる海老が痛みを感じているなどという思考は当時の私にはなく、矛盾していますが、鍋から飛び出さぬよう蓋を閉める行為に多少残酷さを感じた記憶はあります。


私個人としては、幼少期から10代は食わず嫌いで肉魚をあまり食べずに生活をしていたのでベジタリアンにはなれそうですが、現在の食生活のほうが体力、体調や精神面などのバランスが昔より良い気がするので、もう少し勉強してみてベジタリアンを試すか判断しようという心境です。スーパーやテーブルに並ぶ肉や魚の切り身が、生きて走ったり泳ぐ動物や魚介とは全くの別物として存在しているように感じるのは、自分達で捌かず産業となっているからだと思いますし、肉であれ魚であれ、劣悪な環境による病原菌感染などが原因の殺処分や残飯として始末されることは望んでいないので。

152夫 正彦:2018/01/24(水) 16:47:44
出口さん

文化というだけでは、保護に値するかどうかを決めるべきではないと思います。時代の風潮と齟齬をきたせば、文化も変えていくべきでしょう。
また、文化というのは放っておいても変わっていくものですし。新鮮さを追求するあまりに生きた魚などを調理するという”文化”も、調べてみると、それほど古いものではないかもしれません。

豚の丸焼きの話ですが、恐ろしいのは人間の習慣で、これはどれほど異常な状況でも日常に変えていく力を持っています。
初めて戦場にやってきて、転がる死体をよけて歩んでいた兵士が、次の日には平気で踏みつけて進む、というような。
平気になってしまったご友人をあまり責められません。

肉食をするほとんどの人が、自分が食べるものについて、何らかの事実を知って嫌悪感を持ったとか、調理するところを見て残酷に思っただとかという経験をしているはずです。
その時の感情を呼び起こさせたい、という気がするのです。そして、その感情は、人間の同情が人間以外に向かうときもあることを表しています。
種差別という感覚を拭い去るのは難しいですが、種差別におさまらない、動物や生き物に対する人間の同情心も存在するのは確かです。

体調というのは重要ですね。食生活を変えるわけですから。食材とか、今まで使うことのできたものから制限されるので工夫する必要が出てきます。
だから、無理せずに徐々に慣らしていくという方法もありです。中には、魚介類はOKという人もいるし、動物福祉に配慮された肉や卵、乳はOKという人もいます。
完全菜食じゃないとだめ、と言う人もいますが、何もやらないよりは何かやった方がいいので、私はそれでも悪くはないと思います。私自身も完全からは程遠いし。

153出口:2018/01/24(水) 21:54:46
夫さんのおっしゃる通りです。
文化によって当たり前のことと意識に刷り込まれているので、根本的な概念、特に魚介類に関しては日本人の見方を変えることが難しいであろうと思っただけで、文化を守るために劣悪な状況でいいとは思っていません。が、必要な量だけを賄うことが不合理であると主張するまでには至らない心境です。

とりあえずは、意識することでの変化をみていこうと思います。夫さんご自身もヴィーガン/ベジタリアンを継続するか不明とのことだったので、実践していく中での心境変化があれば、例会で近況報告していただけると有り難いです。

身近なことなので要点は掴みやすいですが、「哲学的に」は難しく、まとまりなく考えを述べただけでになってしまいすみません(・・;)

154夫 正彦:2018/01/26(金) 15:40:21
心境の変化、というわけではないですが、発表が終わってもまだぐずぐずと考えていて、最近思っていることを少し書きます。

かなりびっくりしてしまったのですが、「こわいもの知らずの病理学講義」仲野徹著を読んでて、輸血についての話題で、
エホバの証人の輸血拒否の問題について書かれてありました。エホバの証人の問題は、はたから見てるとどうしてもその
頑迷で非科学的な信条に批判がいきがちですが、彼らもただ輸血を拒否するだけじゃなくて、それに代わる医療を模索
していたのですね。

で、輸血に代わって手術中の出血をうまく患者の体内へ還流させる仕組みを開発したそうで、これならばエホバの証人の
教義にも反しないとのことです。その話も驚いたのですが、さらにすごいのは、その仕組みの為に今まで行っていた輸血
のかなりの部分が不必要だったのではとの反省が出てきたそうです。

頑迷だと思われていた宗教的な主張が、なんと医学を進歩させた!?

言いたいことはですね、できない、と一般に思われていることは、単なる思い込みかもしれない、という可能性ですね。

私が気になってたのは、実験動物についての問題で、確かに、すでに明らかになっている科学的知見を再確認するような
不必要な実験も多い。それらは倫理委員会を通じるなりして、やめるべきでしょうし、これに関してはあまり反対される
人もいないのではないかと思います。しかし、どう考えても、科学の進歩のために必要な動物実験もあるように思える。
動物に生存権があるとするならば、たとえ福祉に配慮したとしても、彼らの命を奪うべきではありません。
しかし、その原則を徹底させれば、科学の進歩が止まってしまうかもしれない。

そう考えてた時に、さっきのエホバの証人の話を読みました。最初からできない、との前提があれば、そこまでいかなくても
かなり強い動物実験に否定的な圧力があれば、人間って、何とかするんじゃないだろうか。

そう思うようになりました。

155ウラサキ:2018/02/27(火) 13:17:19
Twitter上でヴィーガンやアニマルライツ系の方々のツイートを拾い読みし、
時に少しやり取りもした上で感じたのは、
やはりマルクス主義と共通の「自らを信仰とは認めない信仰」というものです。

その特徴としては、
1、自分たちの主義こそが唯一絶対の客観的真理である、という自信。
2、現状を改革すべきであり、その為に自分たちの主義を普及させるべきという使命感。
3、立場の異なる者を無知蒙昧扱いする。
4.無神論を声高に表明し、「宗教」と呼ばれることを極端に嫌う。
5、以上の性格故に、相対主義を認めない。

いかがでしょう?

もし異論があれば是非お願いします。

156夫 正彦:2018/02/27(火) 15:19:59
ウラサキさん

言葉の問題で、宗教の範囲を自在にとれば、かなりの信念体系が宗教の部類に入るんじゃないでしょうか。
相手の信念に批判的な場合、よくある批判の切り口として「それは宗教だ」というのは使われますが、
宗教という概念にどういうものを考えてられるのかはっきりしなければ、無意味な批判です。
さらに、設定された宗教の概念によってその信念が宗教と認定されたとしても、その宗教と一般に言われる宗教と
の同じところと違うところをはっきりさせなければ、同様に無意味です。

相対主義の人たちは、自らを宗教と認めているのでしょうか。

1、自分たちの主義こそが唯一絶対の客観的真理である、という自信
客観的真理だと信じているかどうかは知りませんが、いくつかの前提条件をのむのなら、ビーガンとして
生きなければならない、との結論が出てくると思います。たとえその結論をのんだとしても、しょせんは道徳法則
なので、従う必要もないでしょう(将来何らかの形で法律に影響を及ぼす可能性はあるかも)。

2、現状を改革すべきであり、その為に自分たちの主義を普及させるべきという使命感。
それはそうだと思います。現状はあまりにもビーガンが少ない。特に家畜に限って言えば、こうしている間にも
彼ら彼女らが苦しんでたり、殺されたりしているわけですから、ビーガンを宣言しているなら焦燥感にさいなまれる
はず。また、ビーガンを続けるうえでも、もっと普及してくれた方が、ビーガンをやりやすいというのもあります。
ビーガン用の食品とかレストランが増えますから。

3、立場の異なる者を無知蒙昧扱いする。
ほとんどの人はビーガンの論理とか、家畜の扱われ方などの知識が少ないのですが、それを自覚せずにビーガンの人に
嘲笑的に絡んでくる人がいます。そういう人の存在がビーガンの一部をアグレッシブにしているのかな、と思います。
わたしとしては、もっと穏健な考えを持っていますが、彼らのようなアグレッシブなビーガンも必要だと思っています。

4.無神論を声高に表明し、「宗教」と呼ばれることを極端に嫌う。
最初の方にも書きましたが、「宗教」の言葉の問題ですね。
それに、どう考えても悪口なので、そりゃ嫌うでしょう。
キリスト教とか西洋の宗教は人間と動物とを明確に区別しているので、ビーガンとそれらの宗教は根っこのところで
相いれません。ただ、仏教とかはどうなのでしょうか。かなり親和性があるように思えます。

5、以上の性格故に、相対主義を認めない。
相対主義に立つと、ホロコーストとか非難できないですよね。ドイツ国内でドイツ国民であるユダヤ人に対する迫害なら
それへの批判は、内政干渉だと言われかねない。

157ウラサキ:2018/02/27(火) 15:38:47
ヴィーガニズムはその目的が動物の搾取(畜産業や漁業)の撲滅にあるそうなので、
どうしても現状改革への布教圧力(他人を回心させようとする姿勢)が強くなりがちで、
そこらへんが宗教っぽさにつながっているのだと思います。

例えば実在論や直観主義には(当然ながら)それ程の布教圧は感じません。
ですから排中律を「宗教的」独断と呼ぶことよりは、
語義に沿った使い方ではないでしょうか?

それに相対主義にも様々なレベルがあり、
人命尊重についての相対主義と、
食習慣についての相対主義では、
その受容度にかなりの差があると思われます。

158横山:2018/02/27(火) 18:34:55
夫さん、ウラサキさん、
横からごめんなさい。

5.で、ウラサキさんが、アイマルライツ派が相対主義を認めない点を非難した話は、相対主義を取らないことというよりも絶対主義を取ってることが問題だと考えた方が良いように思います。
ホロコーストを非難できないことから相対主義を否定するとしても、そこから絶対主義を肯定してしまうのはいかがなものでしょうか。ホロコーストを為した人達も絶対主義者であっただろうからです?

159ウラサキ:2018/03/01(木) 22:15:17
昔、イスラム教徒の方(インドネシア国籍)と食習慣について話したことがあります。
彼は、知らないうちに食べている場合もあるかも知れないが、
もし豚と分かったら思わず吐き出してしまうし、分かっていたら決して食べない、と言っていましたが、
別に我々が豚を食べることを責めたり、食べないよう勧めることはありませんでした。

恐らく、ヒンズー教徒やジャイナ教徒も自分たちの食習慣を異教徒に勧めることはしていないように思います。

ところが、ヴィーガニズムはそうではなく、
他者にもその食生活を広めようとしている。

あ、じゃ、むしろ(個人的信仰という意味での)宗教とは違うんだ。
社会改革運動なんだ、と今思い当たりました。

160夫 正彦:2018/03/02(金) 15:08:10
横山さん

ホロコーストはやめろ!と主張している側を、絶対主義だ、というのは変ではないか、ということです。


ウラサキさん

社会改革運動というのは、そうかもしれません。


もし、本当に動物の”痛み”と人間の”痛み”を同一視するなら、現状の多くの動物権利論者やビーガンの
行動は手ぬるいように思えます。ホロコーストにたとえるなら、ある場所でユダヤ人が虐殺されているのに、
一般の人はユダヤ人の運命に無関心で、しかも彼らを搾取している当事者でもある。社会との摩擦は
避けられないでしょうね。

しかし、そうは思っているかもしれないにしろ、動物権利論者やビーガンもこの社会で生活しなければ
ならないし、あまりに長い肉食の習慣は、社会のシステムと人々の考えの中に浸透しきっているので、
それに関係せずに生きることも、そのような社会をすぐに変革することも不可能になっています。

今は、一部の人が唱える道徳法則ですが、多くの人が是と考えるようになれば、社会規範となり、法律にも
影響を与えるようになるでしょう。そういう懸念があるために、現状ではあくまで少数派だけれども、
肉食を続けたい人たちが過剰反応してしまうのかなと思います。この辺りは嫌煙権運動にも似ている。

161ウラサキ:2018/03/02(金) 21:01:07
やはりまず、ヴィーガンとノンヴィーガンの間には、

人間と動物を同一視するかどうかの大きな落差があるようですね。

ヴィーガンの方はヒト中心主義をキリスト教に基づいた種差別と主張するが、
キリスト教徒でない私は、日本人やイスラム教徒も共有する人類共通の普遍的価値観ではないかという気がします。

162夫 正彦:2018/06/18(月) 11:57:16
大阪は地震で大変ですが、私の住んでいるところと職場は南の方でしたのであまり影響はありませんでした。

昨日の例会参加者の方で、菜食をはじめられたという人がいらっしゃったので、少々実践的なことを書かせていただきます。
ネットや自然食品専門店でヴィーガン用の食品を求めるのもありですが、どうしても費用が高くなるし、面倒です。
できればコンビニや近くのスーパーでも食材を調達したい。とするとどうしても添加物で、乳や卵が含まれるのをどうするか
という問題が出てきます。私は以下のように実践してます。

コンビニやスーパーで菜食用の食材(加工品)を得ようと考えるなら、ある程度乳や卵が添加物として含まれるのを受け入れる必要があるでしょう。
じゃないと、かなりの食材がアウトになります。びっくりするくらい多くの食品に乳や卵が含まれています。多ければ成分表に”乳(牛乳)””卵”とはっきり
書かれますが、由来の添加物だと成分表の最後に「成分に乳・卵が含まれます」などと書かれています。
肉に関して注意しないといけないものは「チキンエキス」や「ポークエキス」などがあります。

はっきりとした肉や、乳・卵が材料として含まれない限り添加物としてならOKと言う考えもありますが、私の場合、肉系の添加物はアウトで、
乳・卵系の添加物はOKとしています。例えば乳に関するならホエイパウダーや乳化剤、一見してわからないが、最後に「成分に乳・卵が含まれます」とだけ
書かれている場合などは、食材として購入する場合があります。

基準は恣意的に、個人で決めればいいと思います。ただ、必ず自分なりの基準を設けてそれに従うようにする。どうしてかと言うと、いわゆる
「滑りやすい坂道の論理」があるからです。「滑りやすい坂道の論理」というのは、些細な違反をすることによって、ずるずると基準を次第に無効化
してしまう人間の心理を言います。基準が漠然としていると、これぐらいいいか、となって、だんだんと菜食の実施継続ができなくなってしまう可能性が
出てきてしまいます。

だから、少々恣意的でもいいから、自分なりの基準を設けてそれに従うこと。本来は完全に動物由来の食材を購入しない方がいいのですが、
現状の流通制度ではかなり制約されてしまうので、仕方ない部分もあるのです。肉食を続けるよりは、はるかに良いことをしているのですから。


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