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エトセトラ

215ウラサキ:2022/04/09(土) 09:48:45
現在、月曜日の20:00~22:00 オンラインで「形而上学が始まるまでを読む会」に参加させて貰ってます。
今はクワイン「規約による真理」を読んでますが、次回で読み終わり、その後は同じくクワイン「なにがあるのかについて」を読む予定です。
進め方は邦訳を1段落毎交替で音読→要約していくというもので、参加者は3〜5人です。
主催者の方に、新規参加の声かけの許可を得ましたので、もしご関心がおありなら
祥吾 坪井 <tsuboishogo98@gmail.com>
までお問い合わせ下さい。
尚、読書会の曜日・時間帯は次々回より変更する予定です。

216ウラサキ:2022/04/11(月) 05:01:04
上記読書会、4月21日からは木曜日20:00-22:00に実施する予定です。

217ウラサキ:2022/04/26(火) 12:57:59
永井均先生が、Zoom を使ったオンライン哲学講義も始められるようです。
私は(可能であれば)参加したいと思います。

ttps://note.com/dokuzai_tetsu/n/n2ab4674ba39e#cf21fa06-7bf3-481d-8d93-597897d73fa6(←冒頭にhを追加)

218ウラサキ:2022/05/11(水) 10:00:23
以下の永井人均先生からの返答に関して、理解できる方がおられたら御教示頂ければ幸いです。

以下引用です。

※ゼロ回参加の方からの質問にお答えしました

エビクロス:「〈私〉という比較できず疑いえない特異な存在」が存在するとき、「神」はどのような場所に位置づけることができますか? 永井先生の著作にもあるように、ある意味では〈私〉は「神」をも超越しているように感じています。」

永井:神が存在するとしても、〈私〉がもう一つの(それとは独立の)超越者となりますから、通常の意味での神の役割(や力)は弱まると考えられます。しかし、それでも、〈私〉の存在は無理由・無根拠ですから、〈私〉の創造者としての〈神〉という考え方は、むしろ有効なものとして残りうるとも思われます。

以上で引用終わり。

ウラサキの疑問:無理由・無根拠な存在に「創造者」を想定するのは不自然では?創造者が居れば、それが根拠や理由になるでしょうから。

219ウラサキ:2022/05/11(水) 10:12:18
私の記憶では、『私・今・そして神』について昔私がツイッターで質問した際には、
確か永井先生は「私の「神」は、超越者・全能者としての側面は持つが、「創造者」や「慈愛に満ちた」という属性は想定していない」という返答だったと思います。

220ムラタ:2022/05/11(水) 15:52:05
僕も>>218>>219を読んで、エビクロスさん(ウラサキさん?)と同じ疑問を抱きました。
【<私>の創始者としての<神>】という思考も、結局は<私>という場において行われていることなので、【<私>の創始者としての<神>】などという、<私>を超越している神概念の想定は不合理であるように思えます。
超越していると言いながら超越していないという矛盾をはらんではいないでしょうか?

221ウラサキ:2022/05/12(木) 03:56:33
ムラタさん、コメント有り難うございます。
そもそも「神」という、内包が曖昧な概念を気安く取り入れる所が近年の永井哲学の弱点だと感じます。
尚、エピクロス氏は私では無く別の質問者(=聴講者)の方です(^^;)

222ウラサキ:2022/07/02(土) 09:27:18
現在、オンラインで行っている「形而上学が始まるまで」という読書会で、
次回、7月7日(木)より、あの論理実証主義の息の根を止めたクワインの名論文「経験主義の2つのドグマ」を読みます。
毎週、木曜日20:00-22:00で、日本語訳を1段落ごと音読→要約という方式で、毎回数ページずつ読んでます。
現在、参加者が3名ほどでやや寂しいので、少しでも興味のある方は、
祥吾 坪井 <tsuboishogo98@gmail.com>
まで、お問い合せの上、お気軽に御参加下さい。
なお、テキストは、オンライン上で共有されています。


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